孤独に本を浮かべながら

「趣味は何ですか?」
「休日は何をしていますか?」
 今までされて困った質問ツートップである。
 相手を知りたいからこその質問ということは理解している。しているのだが、「何故大して親しくもない人間に私のプライベートを教えなければならない?」という思いがどうしても先行する。お前はどこかの王族か?
 そして仮にエベレスト級のプライドの高さを押し込めて質問に答えたとて、またしてもくだらない質問が返ってくる。もしくは「そうなんですね~」とかいう毒にも薬にもならぬ相槌を返されて会話が終了する。お前が訊いたんだろ? 興味持てよ。話を広げる努力をしろ。興味無いなら聞くなよ。お前の暇を解消するために私の貴重な労力を消費させるな……、文句は無限に出てくる。だからどこの王族だ?
 もういっそ「(お前なんかに教えてやる義理も筋合いも)無いです」と言ってやりたい。実際休日の過ごし方を聞かれて「特に何も」と言ったことがある。そうしたら何故か相手は笑い出した。別に私に語れるほどのことが無い(強く否定は出来ないが)のではなくて、お前に渡せる私の情報など毛ほども無いのだよと遠回しに言っていることに気が付かないか? と言ってあげた方が良かったのだろうか。
 それくらい、上記の質問をしてくる奴は嫌いだ。いや言い過ぎた。苦手くらいにしておいてあげよう。

 そもそも趣味ってなんだ? と哲学を始めてしまいそうである。実際私が好きで行っていることは果たして趣味なのかと聞かれるとよく分からない。好きではあるが、趣味かと言われると首を捻ってしまう。
 しかし本日の論旨はそこではないので、一応読書を趣味としてみよう。大変不本意ではあるが。
 これまでの人生で何度も「趣味:読書」と答えてきた。そうするとまた別の質問が展開される。
 それがこれ。

「誰の本を読むの?」

 これがまた困るのである。
 私は作家買いはあまりしない。いいと思ったら買うし、合わなさそうだと思ったら買わない。「この作者さんの本なら」と後押しの材料にすることはあっても、「この作者さんだから絶対買う」ということはほとんどない。
 故に、どの作家を読むか、どの作家が好きか聞かれても返答に困る。しかし詰まったら詰まったで「なんだよ格好つけて本読んでるって言ってるだけかよプププ」と思われそうで非常に腹立たしい。ちょっと被害妄想が強すぎるか?
 結局、3割くらいの著書を読んだ作家の名を挙げてみるという妥協をする。その作家一筋の人に怒られるかもしれないが、生存戦略のためにどうか許して欲しい。
 そうして質問者が万一過激派ファンだったらどうしようとビクビクしながら返答をするが、大抵は杞憂で終わる。「へーそうなんだ(「知らない」などと半笑いで抜かす失礼な輩も居る)」などと返して会話が終了するからだ。じゃあ聞くなよ、最初から。なんなんだよ。コミュ症か? と人生最大のブーメランを投げつけてやりたい。

 趣味が読書だと答える人間にどの作家の本を読んでいるか聞く人間ほど、読書に縁遠い人間なのではないかと疑っている。
 赤川次郎先生の名前を出して「知らない」と宣う人間に読書家など居るものか。言い過ぎか? いやでもいくらか小説を読んでいる人なら名前くらい聞いたことあるだろう。
「知らない」と無知をひけらかして恥じ入らないのも腹立たしい。まるで自分の知らない作家の名前を出してきた私が悪いと言わんばかりではないか? 自分の浅学を棚に上げて人を攻撃するな。誰も攻撃はしてないか。
 知らないから教えて欲しい、という姿勢ならともかく、会話を終わらせる神経も分からない。もしかして私が先生の魅力を語ればよかったのだろうか。お勧めの作品でも紹介すればよかったのだろうか。時間の無駄になりそうだから絶対に嫌だが。

 カラオケで歌う曲の正解は何か、というような話を見たときに、似たようなことを思った。趣味を聞かれたときの正解ってなんだ。好きな作家を聞かれたときの正解ってなんだ。カラオケで正解の曲など何一つ歌えない人間なので、もう人と関わらないことが正解ではだめなのだろうか。
 もういっそ、今読んでいる本でも答えるべきか。その方が悩む必要も無いし事実を答えるだけだから、簡単かもしれない。仮に「完全自殺マニュアル」や「死にたいのに死ねないので本を読む」辺りを読んでいた日には大変困ったことになりそうだ。
 余談だが小学生のとき「あなたも殺人犯になれる!」というれっきとしたミステリー小説を読んでいたら、クラスメイトに「人殺したいの……?」と全力で引かれた過去がある。今でも理不尽に思っている。

 こんなに苦悩するくらいなら「趣味:読書」なんて言わなきゃいいのだが、それでも答えてしまうのにはれっきとした(くだらない)理由がある。
 同じ本好きに出会って「私も読書好きですー」なんて話を繰り広げたい、私だって。
 まあ同じように読書が好きだから絶対に分かり合えるという訳ではない。一口に本と言ってもジャンルは様々あるし、小説に絞ってみてもやはり膨大な量の分類が存在する。むしろ無駄な争いを避けるためにも、やはり「趣味:読書」とは言わない方がいいのだろうか。
 それでも自分の好きなものに対し、同じ熱量を持って話せる人を、ずっと探してしまう。そんな相手が見つかる可能性など奇跡に等しいと分かっていても。
 インターネットの広大な海を泳いでいればいつかきっと、見つかるんじゃなかろうか。その前に孤独に溺れ死ぬかもしれないけれど。いつかきっとを夢見て、今日も大海に漕ぎ出そう。

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