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実に素晴らしきかな積読ライフ~そんなもん称賛するな~

 どうして積読が増えるのか。
 その謎を探るべく調査隊を派遣した訳ではないが、少しだけ考えてみた。
 ところで、多くの人は偏見を整理しているだけで「考えた」と思ってしまうものらしいが、心当たりはあるだろうか? 自戒の意味を込めて特に何の脈絡も無く記載したが、そもそも偏見の整理すら出来ない人間も居る気がするが、どうなのだろう。この話を掘り下げていくと積読の記事ではなくなるので、今はやめておこう。


積読とは?

 さて、積読である。
 そもそも積読とは何か。
 積読とは、本を読み切る前にひたすらに本を買うことでどんどん読みたい本、読むべき本が溜まっていってしまった状態を指す。読まずに積んであるから積読である。積読は借金で首が回らない状態に近い。
 では何故この積読は増えてしまうのか。
 こんなにも簡単に答えを出せる問いは無い。本を読み終える前に本を買うことが唯一にして最大の原因である。当たり前だ。しかし本を読み終わってから本を買う、などとやっていれば、私が次に本屋に行けるのはいつになるのだろう。年単位で先のことになりそうである。耐えきれない。
 そこを耐えてこそ積読解消の第一歩だろうという声が聞こえてきそうだ。知っている。分かっている。しかし本屋が好きなんだ、私は。後生だから行かせてくれ。
 それに本屋に行かなければ行かないで、今度は別の問題が発生する。かも
しれない。

本屋に行かないとどうなる?

 以前同じように積読がある人の話を見たことがある。その人は積読を無くすために、本屋に行かないようにしたそうだ。
 しかし、賢明な判断家と思いきや、本屋から足を遠ざけたことで、逆に読書欲が下がってしまった。本屋に並ぶ本を見ることで知的好奇心を育み、読書をしたいという意欲を養っていたことに気付いたその人は、定期的に本屋に行き本からエネルギーを貰い(「書店浴」と呼んでいた)、そのお礼として一冊、本を買っていくことにしたそうだ。無事に読書欲は戻り、積読もまた増えていったらしい。ちゃんちゃん。
 詳しくはこちらを参照してほしい。

https://togetter.com/li/2327729

 そしてこの話には私も心当たりがある。一時期書店から足が遠のいていたとき、実際に私も読書欲は地の底まで落ちていた。代わりにネット小説を読み耽っていたが。
 故に、最近では私も週に一回本屋に行くようにしている。そこでまた複数冊本を買ってしまうからいけない。せめて一冊にしろと自分で自分に言い聞かせるのだが、欲しい本が多すぎるのだ。買ったところですぐ読める訳でもあるまいに。
 しかし買わねば買わぬで二度とその本には出合えないかもしれない。読むべき本であれば再び巡り合うかもしれないが、そんなこと読んでみなきゃわからないじゃないか。
 欲しいと思ったら吟味した上でその場で購入する方が好みだ。最低でもメモはとる。あとでメモを読み返し、検索をして、それでも欲しければ買うことにする。この手法を使えば購買欲を八割にまで減らすことが出来る。

そうだ、図書館に行こう。

本屋に行かないようにすれば本は増えないが、そうすると読書欲が低下するというジレンマを抱えているのは分かった。けれど本が大量にある場所は他にもあるだろう?
 そんな声も聞こえてきそうだ。勿論存じているとも。
 図書館。こちらはこちらで素晴らしい場所だ。管理された書架。広大な読書スペース。勉強に情報収集に励む人達。何より静謐な空間。どこをとっても素晴らしい。
 図書館にも定期的に足を運ぶようにしている。本を購入してばかりでは財政が逼迫する。故に図書館で本を借りようという胆だ。なんと薄汚い動機だろうか。
 そして図書館で本を借りる。期限があるからそれまでに読まねばならぬと苦心する。本を借りる時も上限いっぱいまで借りる癖があるから、大体期限を延長する。これはこれで愚かな行為である。
 更なる愚行もある。無料だからと碌に吟味もせず本を借りるものだから、自分に合わない本ばかり借りてしまう。どうしてこう、好きなもののこととなると知能が下がるのか。読書はなけなしの知能を上げて取り組まねばならぬ行為だというのに。
 その問題をクリアして、好みの本を読む。読み進める。まあ面白い。この本のことしか考えられなくなる。素晴らしいではないか。
 しかし図書館の本だ。返さなくてはならない。私の所有物ではない。口惜しい。
 では、手元に置いておけるようにしよう。
 そうして図書館に行っても結局蔵書が増える。或いは、読み切れないから買ってしまおうというときもある。
 この場合はまだいい。積読ではない、単純に蔵書数が増えるだけだから。後者のパターンであっても、完全に読んでいない本ではないからまだ気楽である。
 しかし最後の問題は、読書自体に潜んでいる。

読書は新しい本との出合い

 本を読んでいると、新しい本に出合う。
 あとがきの後ろにある、同一出版社の別の本や、著者の別の著作。何か参考にしたり引用したりした本があれば、それらも後ろの方にまとめて掲載されている。引用箇所に記載されていることもあるだろう。
 他の本の紹介はまあ、まだ耐えられるかもしれない。出版社が同じというだけで、系統まで同じ訳ではない。琴線に触れる作品が無いこともある。過去の著作も微妙なラインだが、余程語り口が気に入ったとかが無ければ同一著者というだけでは購入することはないだろう。少なくとも私は作家買いはあまりしない。
 大変なのは、引用された本である。引用しているのは誰か? その本の著者だ。本を書いているということは、文章に関して一定以上の職能を有しているということだ。そんな素晴らしい語り手たる著者が紹介している本である。
 魅力的に映らない訳が無い。
 気付けば書名で検索をして内容を確認し、「買う書籍リスト」に放り込んでいる。
 引用されていたり紹介されていたりする本の量にもよるが、一冊当たり多いときで五冊くらいは欲しい本が増える。
 読書をすればするほど、新しく読みたい本が増えていく。言葉通り、果てしなく。

まとめ

 積読が増える理由について、自分の体験を元に考察してみた。
 結果、本を読むから積読が増えるということになった。
 偏りのある意見だとは思うが、本をよく読む方にとっては納得のいく結論なんじゃないだろうか?
 まあ別に、積読を消化するために本を読んでいる訳ではない。読書は楽しむものだ。知的好奇心を満たすためのものだ。故に、少しでも引っかかる本があればどんどん読む方がいいのだ。
 そう、あくまで読むために積読をしているのである。だからどうか、積読を増やしても「どうせ読まないくせに!」とは思わないで欲しい。
 積読の数はそれだけ、読書に対する意欲が高いということなのだから。
 ……という自己正当化をして、今日は筆を置こう。さ、今日はどんな本を読もうかな。


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