「人に興味を持つ」ということ

 INTJは「交友関係を築くのが苦手」「他人に興味が無い」と言われがちだ。個人的には前者に関してはぐうの音も出ないが、後者に関しては否定したい側面がある。
 私は創作活動を行うので、人間の行動や感情の推移などにはある程度興味がある。社交は苦手、必要性を感じられないが人間観察は好き、という諸氏はいらっしゃるのではないだろうか。
 私はもう一歩踏み込んで、自分と関わらなければならない人間に最低限の興味はある。どんな性格でどんな経歴で、どんな長所がありどんな短所があるのか。そういう基本的な情報には興味がある。普段何をしているか、趣味や特技は何か、といったパーソナルな部分に関しても、その人を構成する要素として考えれば興味はある。自分から聞くことは無いが。
 その人と新たに関わりを持つことで、この人の言動の源泉は何から来ているのか、この人をこの人たらしめる要素は何か、といった深い部分への興味へ移っていく。私の興味の源泉は、「好きだから知りたい」といった好意的な側面から、「どうやったらこんな考えなしに育つんだ?」といった負の感情だったりと様々ある。基本的にはその人のことを知れば知る程興味が増していく。当然といえば当然か。
 私の友人達には、全く他人に興味が無い人も居るし、逆に興味がありすぎて困るくらいの人も居る。
 前者は誰とでもある程度社交をすることが出来るが、興味が無いから大抵のことは忘れて帰ってくる。他人に対して好きも嫌いも働きづらい。面白いと思った話や人間のことはよく覚えているが、自分の友人である(あった)はずの人達のことでさえ必要が無ければ省みない。
 後者も同じく誰とでも社交が出来る人間だ。漫画や小説に「一度話せばもう友達」というコミュニケーションの達人のようなキャラクターが出てくることがあるが、友人は正にそうで、仲の良さに関して序列はあれど、他人への興味関心には序列が無い。誰に対しても平等に興味を持つ。それは好きな人間に関してだけではなく、嫌いな人間に対しても全く同様だ。嫌いな人間相手であっても、SNSを通じて情報を仕入れ、嫌いな人間に対しての考察を深めている。
 どちらもまあ極端な人間だなと思うが、どちらに対しても共感できる部分はある。面白いと思った人間に興味が向きがちだし、負の側面での興味が存在するというのは先に述べた通りだ。
 個人的にはどちらかというと後者の友人寄りだと思っているが、後者の友人との決定的な差がある。私の中の負の興味は、ある程度で霧散するということだ。

興味の源泉


 さて、先程二種類の興味があると述べたが、私の中でこの二種類の興味の根幹は共通のものがあると思っている。
 好意的にしろ否定的にしろ、私の興味の根幹は「自分にとって学びになるかどうか」というところだ。
 人間誰しも取り柄がある。そして誰しも欠点がある。私は自分のことを人よりも欠点が多く取り柄が少ない(あるいは無い)人間だと思っているので、大抵の人間に対して優れている部分を見出すことが出来る。同様に弱点となり得る部分も比較的すぐに見抜くことが出来る。そう思っているのは私だけで、全くの的外れかもしれないが、今は私の直感が合っているという前提の元、話を進めさせてほしい。
 長所や自分が良いと思ったところはすぐに真似をして、短所や自分が嫌だと思ったところは反面教師としてやらないように戒める。その過程でこの人の長所、あるいは短所の源は何だろう? と興味を持ち、その興味が私への刺激となり、いい刺激をくれる人であればそのまま興味を持ち続け、悪い刺激になり得る人物への興味はスパッと断ち切られる。
 いい刺激を齎してくれる人とは仲良くしていきたいので個人的なことにも興味が湧く。最初にこの人から学びたいと思ったことを全て学びきったとしても、根本的な思考法が私に無いものだったり上位互換だったりすることが多いので、関心はそのまま継続するし、関係を継続したいという欲求が生じる。
 反対に悪い刺激の比率が高い人に関しては、学び以上にストレスとなる。ストレス以上に得られる学びが多いのであればそこそこの関係を保っていようという気にもなるのだが、大抵の場合学びよりもストレスに感じることの方が多い。無理して学ぶよりもいい刺激をくれる人から楽しく学ぶ方が何倍も心地いいので、悪い刺激になり得る人からは何も得ようとしなくなる。結果、自分の中で一切合切興味が無くなる。そこには好きも嫌いも存在しないため、相変わらず学びになりそうなことは取り入れるが、それだけだ。その人自身のことはどうでもいいし、何をしようと考えていようと興味が無い。関係も一度切れればそれまで。自分から追うことはほぼほぼない。

 今まで散々「INTJ」というくくりで語ってきておきながら言うのもおかしな話だが、私は主語を大きくひとくくりにしてものを語るのが好きではない。しかしそれを差し引いても、私の他人への興味の話はINTJの方々にとって共感いただけるものなのではないかと勝手に考えている。
 他のタイプの人から見たらどう映るのだろうか。幸い、他人への興味が旺盛な友人からは、私の他人への興味の持ち方について肯定的意見を貰えているが、世の中の人の目にはどう映るのだろう。それもまた「興味の無いこと」かもしれない。
 兎にも角にも、私の日々の記述が誰かにとっての「学び」となり、良い刺激となってくれていれば本望である。


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