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INTJは他人に厳しい?

 こんなタイトルをつけておきながらMBTIはあまり関係ない記事になってしまった。
 それでもいいという方、お付き合いください。



 INTJの解説を読んでいると「完璧主義」という単語によく出会う。
 自己の目標に対して邁進し、周りから見ればどんな困難な目標に見えてもそれを成し遂げてしまう向上心を持ち、それが故に周りにも同じものを求めてしまう。自分にも他人にも厳しい。
 そんな記述をよく目にする。
 上記のような記述に対し、INTJ当人のブログや動画でも、概ね肯定している人が多い様に思う。逆説的に、他人に求めるから自分にも厳しい、と評する人も居た。

 では私自身どうなんだと言われると、正直なところ自分にそこまで厳しくしているつもりはない。
 日課にしたことをサボる日はあるし、身に付かなかった習慣だって数知れず。これまでの人生で何を成し遂げたかと言われれば、特に何も成し遂げてはいないと言う他ない。目標達成率が高いとは一体?
 ところが他者から見ると、「もっと休んでもいい」とか「もう少し自分に優しくしたら」という感想を抱かれる。かなり自分のことを甘やかしてしまっているという私の自己認識とは大分すれ違いが発生しているように思う。何故だろうか。
 暫く考えて、もしかして皆必要以上に自分を追い込んだり責め立てたりということをしないのでは? と考えるに至った。私は自分のことを怠惰と評価しているので、一定以上自分を責め立てないと逆に行動が出来なくなってしまう。自分に優しくする、あるいは甘やかす、という行動をとれば底なし沼のように際限なく自分で自分を駄目にしていってしまう、というある種の強迫観念に囚われている。
 健全な精神状態には見えないかもしれない。事実やり過ぎて本当に何も出来なくなってしまって更に自己嫌悪に陥るという最悪のループが発生することもままあるが、最近ではコントロール出来ている(と自分では思っている)から概ね上手くやれている。
 そうして自分を追い立て、ルーティンをこなしたり新しく物事を始めたりすることで安心を得る。だから私にとっては全ては努力とか自己研鑽でもなんでもなく、ただの自己満足に過ぎないのだ。それを自分に厳しいと言われるのはなんだか違う気がする。
 加えて、他者に厳しいというのもどうだろう。自分でやると決めたならやれ、人間なんだから成長しようとする気概を見せなくてどうする、という考えを持っていることは事実だが、それを「厳しい」と評されるのは全く納得がいかない。
 人間は楽をしようとする生き物らしいが、本能を御する理性も備わっているのだから、楽をしようとする心を抑えて努力をしようとする方が私には人間らしく思える。

 ……人間には努力をしたい、成長をしたいという欲求が備わっていると考えること自体が、私の幻想なのだろうか?
 もしこの記事を読んだ方が居るのなら、是非考えをお聞かせ願いたい。


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