見出し画像

とっかえひっかえ、移り気読書

 一日一冊本を読んでいた頃に戻りたい。
 否、別に戻りたくはない(どっちだ)。
 あの生活をもう一度したいというだけで、別に時は戻したくない。今の知識が失われるのはまっぴら御免である。

 子供の頃は学校の図書室で本を借りて翌日その本を返し、また別の本を借りるという生活をしていた。以前どこかで話した気がする。
 昔から読む本の傾向はあまり変わっていない。ミステリーかファンタジー小説が大多数。字の小さい本よりも字の大きい本に拒否感を示す子供だった。
 まあ碌に読めないまま本を返した日の記憶もあるが、それでも体感で三分の二くらいはまともに読んだと思われる。記憶は美化されるものなので、もっと少ない可能性もあるが。
 そうして毎日別の本を読んでいたせいだろうか? あるいは単に移り気なだけだろうか?
 読みたい本がどんどん変わるという厄介な特性を手に入れてしまった。

 朝はこれ、夜はこれ。昨日はこっちを読んだけれど、今日は関連した別の本。明日は全然違う本。
 そうやって中途半端に手を付けた本のなんと多いことか。しかも別の本に移動したとき、半分くらいの本は以降読まなくなり本棚で眠るという恐ろしい事態も発生する。時間が経ってからまた読み始めて、もう一度最初から読むと今度は「なんて面白いんだ!」とそれしか読まなくなる時もある。まだ読むべきときでは無かったということなのだろうか?
 何故こんなことになるのかといえば、周りに本が多すぎるのだ。自宅では文字通り本に囲まれて過ごしている。目の端に別の面白そうな本があればそちらに気を取られて当然だろう。
 加えて、私の理解力が低いせいで本が面白く感じられないという問題もある。数ページ読んで「んー……、あー……、うん。別の本にしよ」と移動することも多々ある。失礼な奴だ。
 勿論、一途に読み続けることもある。その本のことしか考えられなくなることもある。仕事が何一つ手につかないことだってある。仕事に集中していないのはいつものことか。
 
 そんなこんなでとっかえひっかえ読書をする性質を持ってしまった私だが、そんな私も読書記録をつけてみたくなったわけだ。
 困ったことに、手当たり次第の読書は記録との相性がすこぶる悪い。読み始めた日を書いても読了日なんていつになるやら分からないし、別の本に移動したらまた記録をつけないといけない。普通の人は恐らくこんな本の読み方はしないので、私一人が勝手に苦悩する羽目になっている。
 故に、一度本を開いたら最後までその本を読もうと決めた。
 そうしたらなんと記録のつけやすいことか(当たり前だ)。
 毎回毎回「今日は何の本を読もうかな」などと考える必要も無いし、読みたい本を引っ張り出す必要も無い。なんと快適なのだろうか――、と思っていたのは最初だけ。
 やはり読んでいてしんどい本は存在する。「なんでこの本読んでんだっけ?」という気分に陥ってしまう。重ねて言うが、私の理解力が低いせいである。本は何も悪くない。
 まあそれでも読まなきゃならないしな、と黙々と読んでいたところに、こんな一文と出合った。

「つまらないと感じる本は、投げ出してもよい」

 私の生み出した都合の良い幻覚だろうか? と思って再び同じ書籍を確認したが、きちんと存在していた。良かった良かった。
「英国エリート名門校が教える最高の教養」という本のチャプター2「どう読むか」の小見出しの一つが当該文章である。
 欲しかった本がちゃんと惹かれる本であればそのまま読み進めればいいし、惹かれないのであれば投げ出して別の本を探せばよい。いつか面白く読めるときがくるかもしれない。読書自体に疲れたときは、一旦本のことは考えず別のことをすればよい。こんなことが書かれているセクションである。
 またしても都合の良い妄想かと疑いたくなるくらいに有難いお言葉である。「わかりました! じゃあ別の本読んできますね!」とこの本を置いて別の本を手に取りそうになったが、なんとか思い留まった。そんな仕打ちは「恩人」に対してあまりに失礼である。

 この本を読み、「なぜ銅の剣までしか売らないんですか?」を読んだ後はまたしてもあちこちの本に手を付ける生活に戻っている。ひょっとすると疲れて集中が続いていないだけかもしれないが、畢竟このスタイルの方が私には似合っている気がする。
 記録が難しくなるとしても、記録のために本を読んでいる訳じゃなし、好き勝手に読めばいいのだ。これも本書の受け売りである。
 とは言いつつも、やはり一冊を読み終えた後の高揚感は何度でも味わいたい。しかしながら、乱読してばかりでは土台無理な話である。
 今思えば、毎日本をとっかえひっかえ読了していた頃の私は、最強のいいとこどりをしていたのではなかろうか? その日の気分で好きな本を好きなように読んで、きちんと満足感も味わえる。なんと羨ましい。
 今からでも、どうにかそんな生活は出来ないだろうか。やることだらけの日々の中で、どうにか一冊の本を読み切る時間を捻出できないだろうか?
 などと無謀なことを考えては、今日も本を読む時間が削られていくのであった。本末転倒とはこのことかもしれない。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?