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私の受けてきたことは虐待なのか?【毒親】

※虐待について書いています。フラッシュバック等の可能性がある方は、自衛をお願いいたします。

最近の私は、限界がきた時にnoteを書いている。noteを書いているうちに、少しずつ気持ちが落ち着くからかもしれない。

今日は、ついさっき急に限界がきた。激しくフラッシュバックして、暴れた。椅子が床に広がった布団の上に横になっていた。

また、考えてしまったのだ。
「私の受けてきたことは、虐待なのか?」と

正直、そんなことを考えたってどうしようもない。もう過去のことだし、、と続けようとしてハッとする。トラウマに苦しんでいる人間からすると、あの頃の記憶は過去のことではないのだ。今も続いているように感じるくらい、苦しいのだ。

虐待の線引きは難しい。身体的虐待や性的虐待があれば明白だが、私のように心理的虐待が大半を占めていると、「そんなことくらい怒ったら口走るよ」なんて簡単に言われてしまうこともある。しかし、私にはあの頃の母の怒った顔が、本当に今でも怖いのだ。実家に帰るとあの頃を思い出して、その場にいられない。正直母にも会いたくない。あの頃の「恐怖」という感情が、そのまま凍ったみたいに私の中にある。

同性の親からの性的虐待も、判断が難しい。だが、「同性だからさわるでしょ」は個人的にありえない考えだと思っている。同性とか異性とか関係ない。親だからと言って、ある程度大きくなった子どものプライベートゾーンを好き勝手にさわるのは、どう考えてもおかしい。「これが私の愛情表現」なんて、言って欲しくない。だって、私はその行為のせいで、大人になった今の恋愛関係も左右されている。

ここまで書いてきて、思った。多分、私が受けてきたのは虐待だ。そして、その頃の記憶が今の私の苦しみを形作っている。そのことを認めることは、苦しい。今までに何度も自問自答して、この答えにたどり着くが、やっぱり苦しい。

虐待とは何か。定義はすぐにネットで調べれば出てくるが、そんな簡単に定義づけられるものではない。でも、過去の記憶に今も苦しんでいるのなら、「あの頃は苦しかったんだ」とだけでも認めてあげることは大事だと思う。

私も、この記事を見ているトラウマのあるあなたも、あの頃は苦しかったよ。
そして、本当に本当に頑張っていた。だって、今日まで生き延びたじゃないか。

虐待や様々なトラウマの傷は、すぐには癒えない。私ももう7年間精神科に通っているが、自覚するほど苦しみが増している気さえする。でも、きっといつかあの頃のことを誰かに泣きながら伝えることができる。そう、信じるしかない。

今日まで生きてきた私たちに拍手だ。




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