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上司

定年を迎える年の年初は
契約社員として65才まで
仕事をするつもりだった

サラリーマンとして
仕事が楽しかったのは
尊敬できる上司のMさんがいたから

基本はしっかり教えてくれるが
後は好きなようにさせてくれた

そんな環境の中で
仕事の進め方,お客様との交渉術
部下の育成方法・・その他色々
Mさんの背中を見ながら
覚えていった

私が営業所に配属となった時
Mさんは課長で直属の上司だった

Mさんから最初に言われたのが

“信念を持って仕事をしなさい
信念を持って仕事をしてたら
君が間違った時に私は正しく
君を指導する事ができます”

と言われた事を40年近く経った
今でも思い出す

そんなMさんは現場の現状を
現認して物事を判断していく仕事の
進め方をしてたので
まずは真似しながら自分なりに考え
仕事を自分流にしていった

成果が出てくると嬉しくなって
更に新たな目標が出てくる
そんな仕事の楽しさを学んだ

営業所勤務7年目に
私は大失敗をした

お客さんと一緒に
新たなサプライヤーを入れ
新規事業を立ち上げる時

自分の力を過信していたので
職務権限を無視し
何でも自分の判断で仕事を進めた事で
多額の損金を出してしまった

自分だけでは収拾が
つかなくなり始めていた頃
本社で営業の担当役員になっていた
Mさんから一言だけ言われた

“何年営業やってるんだ”

その後 私は本社の営業本部に
強制送還となり
新規事業から外された

新規サプライヤーとの補償交渉や
お客さんからの費用回収など
全てMさんとエリアマネージャーが
後始末してクローズしてくれた

しかしその後
Mさんは私の失敗を
一度も責めることがなかった

あの失敗を真摯に反省し
信念をもって仕事に取り組み
5年後に営業本部でマネージャーとして
仕事をする事となった翌年

大動脈弁閉鎖不全と
上行弓部大動脈瘤が見つかり
人生初の大手術をすることになった

この出来事で
自分は生きてるのではなく
生かされてる事を初めて
実感したのだが
それはまた機会があれば
書いていきたいと思う

手術は無事終わるも
完全房室ブロックになり
入院期間も長くなってしまった

入院中に
Mさんがお見舞いに来てくれた際
心温まる手紙もいただいた
サラリーマン時代の書類や手帳は全て捨てたが
この手紙は今でも手元にある
終活に併せて処分しなきゃだけど、、

10数年経つがまだ持ってる。笑

術後、2年間 本部勤務していたが
体の事もあり自宅から通える
営業所に戻してもらった

私が定年を迎える日の1週間前付で
Mさんが退任し会社を辞める事を知ったのは
定年を迎える半年前

当時の営業本部のマネージャーの
仕事のやり方が3現主義とはかけ離れ
身近なところで見聞きし
事象の上辺だけ見て物事を判断するので
仕事や組織を引っ掻き回したのち
それをいかにも自分が収拾してると
TOPにアピールする事に注力しているのが
どうしても許せず悶々としていた

心身とも疲れてた私に妻は
“もう十分仕事してきたんだから
会社辞めてゆっくり休んで
好きな事したらいいじゃん”と言ってくれ
踏ん切りがつき
すぐ辞めたいとMさんに相談した

Mさんは親身になって話を聞き
社内の総務に話をして,残っている有給と
毎年繰り越される隠れ有給を使って
今すぐ辞めるのではなく
定年退職するように勧めてくれた

すぐに辞めず 有給を消化し
定年退職を選び正解だった

恩返しをしたい上司も
いなくなった

私の思ってた
理想の上司って
たぶん
羊飼いのおじさん
だったんだろう

広い牧場を好きに
駆け回っていられるけど
柵を越えようとすると
"こらこら!そっちじゃないよ"と
言ってるような羊飼いのおじさん

サラリーマンとして
いい上司を持つ事で人生も変わってくる

そして
いい上司を真似る事でいい部下も育ったし
慕ってくれる同僚や部下もできた

元部下や仲良かった同僚たちが
今でもLINEで相談してくれる

育児や家庭のこと,転職や飲み会について・・・

近くに住む元部下は私の退職後 転職して
楽しそうに過ごしている

私もサラリーマン時代の
同僚や部下たちとの四半期毎の飲み会が楽しい

これは私にとって
いい上司だったMさんのお陰


今日も私の雑文を読んでいただき
ありがとうございました。

いい日になりますように!


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