私たちは草原を走り続けている。
人類誕生の地は現在エチオピアやケニアがある地域だと、長年考えられていた。これが定説となっていた。
しかし。2017年に、モロッコで、より古い現生人類の化石が発見された。
ホモ・サピエンスの出現は、従来の想定よりも、10万年以上早かった可能性。
判明している「事実」というものは、今日までにわかっていることにすぎず、明日にはそれが大きく変わっているかもしれない。
このことに、改めて、気づかされる。
「従来の共通認識では。ホモ・サピエンスは、アフリカのどこかにあった『エデンの園』で、急速に出現したと考えられていた。今回の発見で、『エデンの園』は、アフリカそのものだったということがわかった」
ある学者のコメントだ。私は、この表現が好きだ。
研究者らは長い間、直立姿勢・道具使用・象徴的コミュニケーション・脳肥大化などの出現をうながしたものは一体何なのか、それを考えてきた。
答えの1つに「草」がある。
アフリカ東部沖の海底堆積物から、2,400万年前の植物に関する記録が発見された。(深海は、植生の痕跡を探すには、奇妙な場所のように思えるかもしれないが)
それにより、詳しいことがわかってきた。
2400万年前から1000万年前に、6500万年前から3500万年前に、と諸説あるのだが。いずれにせよ、人類の祖先が出現するよりはるか前に。
アフリカの広い地域で(東部のみではなかったことが判明した)、草の生い茂る環境が増加した。
それまでは森林地帯が支配的であったが、気候の変化により草が生えはじめ、いつしか草が優勢になり。
アフリカの植生が、密林からサバンナへと、徐々に変化していくにつれ。私たちの祖先も、樹木からおり・開けた土地を移動し・社会的スキルを身につけるようになっていったか。
これにもまた、諸説ある。かなり長い間、森林/草原とハッキリわけられるような環境には、いたらなかったなど。
うーん。なるほどー。
私は私なりの思考をしてみる。
今日のごはんは草と肉よ。
やった〜!一緒に食べると美味しいんだよね。
明日のごはんも草と肉よ。明後日のごはんも。
あまいものもまた食べたいな。
(空想にしても。ここまで意思疎通ができるような段階にいたってから、とする)
植生が混合状態でなくわかれていたとしても。多少のコストやリスクがあったとしても。サバンナから密林まで、出向いていたのではないだろうか。パートナーが夕食のメニューに愚痴を言えば。我が子が昼食のメニューにリクエストを出せば。
太古の母たちに思いを馳せる。
貼ったのは、アメリカの動物園の記録映像。
難産で、帝王切開で出産したチンパンジーの母親。うまく呼吸ができず、生死の境をさまよったチンパンジーの赤ちゃん。会話で説明できないため、2日間、母は子がどうなったのかわからずにすごした。これは、彼女が息子が生きていたことを知った、瞬間だ。
これに人間の女性が泣いているのが、私的に、ぶちささる。みんな仲間だ。同性は仲間だ。
Homininae はヒト科の亜科である。Hominini はヒト亜科の分類学上の部族である。ホモ属(ヒト)とパン属(チンパンジーとボノボ)を含む。ゴリラ属(ゴリラ)とは異なる。
話を戻す。
また、古代のゾウなど大型草食動物の、歯のエナメル質を調べると。多くの動物たちの主食が草に変わっていったことが、見受けられるという。
羊・牛・馬など、人類の文明にとって不可欠な動物は、草を食べて進化した。霊長類は、アフリカの草原で進化した。
(草原を含む)風景の多様化は、環境変化に柔軟に適応するヒト科動物にとって、成功へのカギとなった。草の進化と哺乳類の進化は、絡みあっている。
これは断言してよさそうだ。
自然と動物と私たちは一蓮托生。
一蓮托生
よい行いをした者は極楽浄土に往生し、同じ蓮の花の上に身を託し、生まれ変わること。
事の善悪にかかわらず、仲間として行動や運命をともにすること。
「托」とは、よりどころとする・身をよせるの意味。→ 託す。
Ardipithecus ramidus は、580万年~440万年前のエチオピアに生息していたとされる、原始的な人類の一種だ。
長らく最古の人類とされてきた、アウストラロピテクス属より、いっそう古い。
いつからどんな種類がいたかなんて、結局は、わかりきらないのかもしれないが。一番大切なことは、ちょうど、そこにはないのかもしれないので。別にいいんじゃない。
限られた資源を独占するために、1度にできるだけ多くの資源を持ち運ぼうとして、二足歩行をするようになったと。
資源が限られている時、チンパンジーたちがどのようにふるまうか。それを見るとわかると。
ある資源を独占しようとする時、彼ら彼女らは、二足歩行を見せる。手が自由になる分、多くを持ち運べるからだ。
人間の身体能力を他の動物のそれと比較した時、私たちは印象に残らない。最速でもなければ、最強でもない。
しかし、私たちには、長距離走がある。
私も長距離走が得意だ。
とんでもなく過酷なコースのフル・マラソンで、「まじか〜もう女子きたの」とサッカー部の同級生に言われ、「気にしないで。私はその先頭だから」と答えながら置き去りにした時の快感は、今でも覚えている。立ち去る際に一方的に言い放つ、悪意のこもった言葉。「捨て台詞」の定義である。笑
疲れきって爆睡する。否。42km走ると、人は、おいそれとは眠れない。うとうとしても、足の痛みが覚醒させてくる。走る前と走る後で、体重は、4kgほどマイナスになる。減ったのは、主に水分なのだろう。※私調べ
ある学者が、狩猟採集民に関する記録を調べていた時。狩猟採集民が、長距離にわたり獲物を追うという描写がよくあることに、気がついた。
我々の祖先は、獲物を効率的に狩るために、長距離走/持久走を発達させたのか。
持続的狩猟は、人類特有のものではない。オオカミや一部の鳥類も、長距離にわたって獲物を追いかけることができる。
人間は、哺乳類では珍しい、2つの特徴をもっている。運動筋が疲労に強い繊維で支配されていること。代謝熱を発汗によって効果的に発散すること。
チンパンジーやオランウータンのような親戚には、この種の適応がない。ホモ属が独自に、この適応をおこしたのだ。
・ランニングにはエネルギーがかかる。
・ランニングは速い。
まず。高エネルギー活動に対して、カロリー・リターンは、見返りとしてつりあうのか。
中~大型の動物から得れるキロ・カロリーは、とても大きい。ランニングとウォーキングのエネルギーのコスト差を、帳消しにするほどに。
次に。時間的な効率の話。
走ることで、4時間かかる追跡を2時間に短縮できれば、大違いだ。節約した2時間は、別の追跡に使用したり、他の重要な活動に投資することができる。
経済学的に言えば。これは、標準的な機会費用の優位性である。
より効率的なエネルギーの貯蔵と放出のための、アキレス腱の発達。
某インフルエンサーが、ランニングは老けると語ったことがあるようだ。
人に疑問を呈するのだから、この部分を書く前に、詳しい内容を確認した。何かしらの研究を参考にした上でのこととは思うが。私は思う。彼は、このホモ属のベーシックな情報を知らないのではないだろうか。
当たり前だが、個々の事情により、運動の仕方やペースには気をつけるべき。持病があるだとか、疲労がたまっているだとか、みんな違う。この場合、特に、心臓への負担。
人間は走っていい。身体はそうできている。
私の意見ではない。太古からのメッセージだ。
今回は、植物とホモ属の「並走」の話をした。パン属について書きながら、母の愛にもふれた。ホモ・サピエンスの言語能力の向上による大勝利ーーなど、このような話はしていない。
私はその話があまり好きではなく、今後も、我流書きすることはないと思う。
Avicii の方はイヤホン推奨。良質サウンド。