わたしもあなたも、全員、陰謀論者
今回は、私が最近、改めて関心をもっていることについて書く。
他人事ではない。これは、私自身を含め、みんなに関係することなのだ。ぜひ読んでほしい。
以前、公正世界仮説の話を書いた。正直、今回よりも、こっちの方がおもしろいと思う (笑)。よかったら後で読んで。
まず、陰謀論のザックリとした定義から。
特定の出来事や状況が、否定的な意図をもつ強力な勢力によって、裏で密かに操作されているーーという信念。
さらに細かくいうと。この信念には、以下のような特徴がある。
・共謀者グループが存在する
・何事も偶然には起こらない
(バタフライ・エフェクトとは違う意味で)
・全てがつながっている
・世界は善と悪にわかれている(二項対立)
陰謀論は、多くの場合、疑惑からはじまる。
次に、その出来事や状況から利益を得ている者や共謀者、こういった存在を必要とする。
あらゆる “証拠” は、後づけ的に・無理やりにでも、適合されていく。
順序があべこべなのだ。
静かな水面も、石を投げ入れられれば、波紋ができる。
政治的な理由などから、意図的に、操作をしようとする者もいる。
そういった場合、反論する者は、陰謀に加わっているとみなされたり・そうであると晒されたりしがち。
・直観に強く依存すること
・他者に対して優越感を感じること
・自分たちの環境を理解して、安全だと感じたい欲求
・自分が共感するコミュニティーが他のコミュニティーよりも優れていると感じたい欲求
など
陰謀論は、なにも、精神を病んでいる人だけが陥るわけではない。
自分に自信があるタイプに、むしろ、起こりやすい可能性まである。事実、いわゆる陰謀論者の中には、大変賢い人も存在する。
「ごめんなさいが言えなくて」、トンデモ路線にいってしまう人たちが、後を絶たない。
何かを訂正する際に、謝る必要もない。
①全てを知る人は誰もいない。②世界は変わることがある。ただ、それだけだ。
ある研究で出た結果(1つの結果にすぎないが)
社会的な脅威を認識した者は、抽象的な理論ではなく、出来事に基づいた陰謀論を信じる傾向が高い。例)米政府が911を計画したーーなど
自分は特別だと感じたい欲求につき動かされた者は(多かれ少なかれ、人にはこのような欲求がある)、世界の仕組みに関する一般的な陰謀論を信じる傾向が高い。
外向性・協調性・率直さ・良心性・神経質症。これら5つの性格的特徴と陰謀論的思考との関連性は、他の性格的特徴に比べ、低い。
しかし。研究者自身も注釈しているのだが、良心性などといったものは、しっかりと測定できるような類のものではない。
私はよく、やさしいと言われる。けれど、本当の内訳はこう。私は、空気を読むのがうまく・演技が達者な人間。ここに悪意を足したら、大変なことになる。次に言われるのは、裏表がないという評価。要するに、自分で気をつけているのだと思う。能力を制御している (笑)。
陰謀論は、常に、我々と共にあった。
ローマ時代までさかのぼってもあったし、紀元前までさかのぼってもあった。
狼男や魔女が頻繁に “発見” され、実はモンスターであるという罪により、人が生きたまま次々と焼かれていた時代と比べて。近年の様子など、ある意味、大したことはない。
現代社会で、全てが acceralated や悪化なんて、していない。自分の言説に酔って、嘘を言うな。
他者の行動に疑念を抱くことは、本来、適応的な行為である。私たちは、全ての物事や人を信頼したりしない。そもそもは、それでいいのだ。
情報にアクセスすることや情報を共有することが、容易になったこと。情報の量が極端に増えたこと。
これらが、昔と違うところだ。
狙いを定めて、特定の情報にアクセスできるようになったし(検索キーワード)、自分の見解と矛盾する情報は、無視することもできるようになった。
さらに二極化する可能性がある。
世界がではない。あなたがだ。
1つ前の回で書いたが。
世界が本当に二項対立である瞬間など、一度たりともない。と長年私が思っているというのは、私自身がずっとそういう考え方をしている、ということなのだ。
意味が伝わるだろうか。人は自分の見たいように物事を見るという話だ。
ケンカは、すればするほど悪化する。悪口は、言えば言うほど止まらなくなる。中毒性があるからだ。脳内に放出される、ドーパミンやコルチゾール。今回は、この話は詳しくはしない。
何か物事に出くわして、それに感情をもつ。怒れるものや批判できるものを、自ら探しまわる。あなたが、前者から後者のタイプに移行するまでに、さほど時間はかからない。
たとえばこのようなことを知っても、もう引き返せない人は、大勢いる。その時に役立つのが、「正義 」「世のため人のため」などの名目である。
中毒とはそういうものだ。ダイエットは明日から。
陰謀論を信じるようになる心理的要因を、以下の3つに分類した学者がいる。
・認識論的動機
・実存的動機
・社会的動機
簡単な言葉で説明する。
認識論的動機とは
なんのことはない。情報を知りたいという欲求だ。説明を求める。真実を知りたがる。不安を感じる時、陰謀論に惹かれるという系統の話。
実存的動機とは
自分たちが住んでいる世界が安全安心であってほしいという、人々のニーズだ。これも、いたってシンプルなもの。物事を制御できると感じたい。無力感を感じたくない。
社会的動機とは
個人として自分自身に満足したい。また、自分が属しているグループに関しても、自分自身に満足したい。そういう願望だ。
3つ目が、一番やっかいといえるだろう。掘り下げる。
高い自尊心をもつ人は、自分自身に満足することを特に好む。
その方法の1つに、他の人がアクセスできていない情報に、自分はアクセスできていると感じることというのがある。これが、「私/私たちは真実を知っている」という発想につながる。
そのような信念をもつことで、常に、優越感を得ることができる。自分のグループは、善良で道徳的である。他のグループは、悪の実行者であるというような考え方も。
他人事ではない。誰がこれを他人事にできよう。みんなわかるんじゃないの。残念ながら、私はわかる。この観点からいえば、私は、立派な陰謀論者だろう。
今私は、陰謀論の信念において、ナルシシズムが果たす役割のことをいっている。
こう(私のよう)であれば勝ち組・こう(私のよう)でなければ負け組、という主旨の宣伝文句は、ありとあらゆるビジネスに見られる。
あなたの勝ちとは、本当に、他人が定義した勝ちと同じなのか。勝ちを幸せと言い換えてもいい。
高齢者は若者よりも陰謀論を信じていないということが、判明している。
今まで認識していることと真逆だ、と思った人がいるのではないだろうか。そうであるなら、あなたは、この件において “陰謀論者予備軍” かもしれない。
ほとんどの研究で、明らかになっている。
陰謀論の信念と年齢の間には、単純な相関関係がある。負の相関関係。つまり、年齢が高くなるほど、陰謀論を信じなくなる。若いほど、陰謀論を信じやすい。
source を出してもいいけど。本当に読む?英文だよ。35ページくらいあるPDFなどだよ。読まないでしょ?責めてない。リサーチは面倒くさい。私も面倒くさい。わかる。
能の回の時に書いたように、知恵と智慧は違う。だから、それでも別にいいんだ。解る人は解るから。話の主旨が。
ある種の陰謀論を信じる人は、他の陰謀論も信じる可能性が高いという。
一見対立する内容をどちらも信じるという事例が、多く見られる。
相互に矛盾する内容でも、よりコアな信念で、共通点があるからだ。
何かが隠蔽されている。何かが正しくない。
このような、シンプルなアイディアである。
インセプションの設定のような文言を出したし、今回の話にも関連があるので、貼っておく。
私が、ノーラン監督が全ての映画監督の中で一番好きな理由は、今回のような話と関係がある。彼は、嘘を拒絶しない。嘘のある世界に、過剰反応をしない。渋い。
ナチスのアドルフ・ヒトラーが主導した大量虐殺により、ヨーロッパ全土で、600万人のユダヤ人が殺害された。
しかし、これを信じていない一群が存在する。
ホロコーストが起こったこと自体を信じていない筋金入りから、死者数は大幅に盛られていると考えているタイプまで。濃淡はあるが。
そもそも、私たちは、世界の歴史のほとんどを目撃していない。そういう方向性から考えると、気持ちはわからないでもない。
100カ国・5万3000人以上を対象にした、2014年の調査。ホロコーストの歴史的記述が正確だと考えている人は、3割しかいなかった。7割のほとんどが、65歳未満だった。
ユダヤ人の利益のために、同情を買うために、など。特に若い世代は、いろいろと思案を巡らせるようだ。まぁ、あたまが元気だから。
余談だが、最高の余談がある。
つい先日、イスラエルの大臣が、「ハマスの行為はナチスの行為より悪質」などと発言した。
不謹慎だが、吹いた。このレベルまでいくことを予想していたため、もはやショックは受けなかった。
人類のみなさんとくとご覧あれ。これがニンゲン!だ。(ネットで検索してみて)
説明のつかない死は、陰謀論を生みがち。
リー・ハーベイ・オズワルドは、1963年11月、テキサス州ダラスでジョン・F・ケネディ大統領を暗殺した容疑で、逮捕された。その2日後、移送される途中で、彼は殺された。テキサス州のナイトクラブのオーナーが、射殺した。
こうなってしまっては、真相がわからないままだ。宙ぶらりんだ。
1960年代、アメリカ人の半数以上が、オズワルドが単独で行動したとは信じていなかった。2017年、その割合は変わっていなかった。むしろ、やや増えていた。
月面着陸は捏造されたもの。エリア51には多くのエイリアンが住んでいる。……アメリカ国民は、こういう話が大好きだ。
『CUBE』は、そういう要素がてんこ盛りの作品だ。
機構全体が謎という設定・その中で生きているという比喩・政府が犯人だと主張する人・市民を守る職業の人が暴力的・依頼人のことを一切知らず仕事を請け負う人……
2でテッセラクトを出してくるところは、好きだ。
このシリーズが好きな人は、近年だと『PLATFORM』も好きだろう。この2作品には、似ている点が複数ある。
『プラットフォーム』の、仏教的な要素を取り入れているところは好きだ。この作品の話はしない。解説や考察は、ネットにわんさかあると思う。それらを見て。
「私は多くのことを知っています」vs.「努力 未来 beautiful 星」
デンジくんはかわいい。
最後に。
陰謀論の話ではないが、最近特に考えていることが他にも1つあるので、表現してみる。マクロな書き方で申し訳ないけど。
世界はこれからどうなる。永遠に今までの型を繰り返すのか。
日本はアメリカ的に・アメリカは日本的に。そこに、よいあんばいがあると思っていた。けれど、わからなくなった。ついに、わからなくなった。今回は、これ以上詳しくは書かないが。最近の米国は、私がいた頃のそれとは、また違ってきてしまっている。
テーマと全く繋がりがないことを書くのは、自分のNoteではじめて。何が言いたいのか、説明もできていないし。ちょっと思うところがあり……
知恵と智慧で戦ってみようか。ちょうど、デンジの名言「夢バトル」だ。そんな気持ちに、時々なるのだ。