バイリンガル・マルチリンガル #1

我が家は国際結婚していることから、バイリンガル(さらにはマルチリンガル)にしたいなぁ・・・と子ども達を育てている。

先日書いた、絵本の読み聞かせを子どもたちに行なっているのは、日露両言語を獲得するため、という側面もある。
不登校児童の増加と相俟って日本人の国語力の低下が嘆かれ、特に外国にルーツを持つ児童が抱える問題は由々しいと言われる昨今、こうした社会の諸問題は決して他人事ではない。
日露両言語の習得は、親の責務と考える我が家では、子育てにおいて子どもたちの国語力(=語彙・表現・認知・感受性・想像力を総合した言語運用能力)を涵養することは最優先事項であり、最大の関心事と言っていい。

・・・と考えている割に、しっかり調べたことはなかったので、自分の勉強のためにも、noteに書き溜めたい。

ひとえに言語の習得といっても、日常会話の運用スキルを指す生活言語能力と、論理的な思考、作文や読解が相応にできる学習言語能力とがあり、一般に前者は2年程度、後者は5年程度で習得するものと言われている。
母語で考えると、発話が始まる2〜3歳ごろから数えても、発達段階の差異を踏まえても、小学校中学年から高学年ごろで母語の言語の基盤が出来上がる計算になる。

バイリンガルの場合はどうなのか。

上述のように、細かな理論や研究については調べきれていない
巷には、二兎追うものは一兎も得ずと言わんばかりのダブルリミテッドやセミリンガル理論を、親の不安を煽らんばかりに紹介する記事も多い。
そんな記事を鵜呑みにして、勝手な心配を寄せてくる人も周りにいた。

色々調べているうちに、東京大学の酒井邦嘉先生の論文や著書に出会った。

酒井先生は言語脳科学の観点から、ノームチョムスキーの生成文法理論を踏まえて、脳科学の視点からダブルリミテッドやセミリンガル言説に異を唱えてくれている。曰く、人間には自然言語を獲得できる「文法中枢」が脳に存在し、複数の言語を身につけることは特殊能力ではなく、自然な状態であるという。

酒井先生の説を信じれば、四技能によるインプットとアウトプットをつなぐ「生成能力』(解釈と表現)を涵養することによって、マルチリンガルになることは可能であるという。
そして、最も重要なことは、「好きこそ、物の上手なれ」。
言語を獲得することは「茨の道」であり、万人に効く特効薬はない。
言葉を知り、解釈し、表現することに楽しみや喜びを感じ続けることが、言語獲得の最短ルートなのだ。

かなり噛み砕いたまとめになったけれど、酒井先生の説に出逢った時に心に広がった安堵感たるや、ハンパなかった。

以下は、『チョムスキーと多言語』より抜粋したメモです。(もう少しわかりやすくまとめたいが、それは次回以降に)


  • 脳科学的に複数の言語を身につけることは特殊能力ではなく自然な状態

  • ノームチョムスキーの普遍文法:自然言語は基本的にすべて同じ性質を持つ、個別の言語は地域語(方言)や世代語のようなバリエーションを見せる

  • 自然言語:乳幼児が自然に獲得できる言語、生得的な文法性(普遍文法を備えている)
    →ただし単語は言語能力というより認知能力(連想記憶)で覚えるもの、純粋な自然言語とは言えない

  • 「木構造」:二股の枝分かれだけからなり、どの自然言語にも存在する。乳幼児は学習することなく、3〜4歳までに自然に母語を身につける、その基盤となる。

  • 音声が木構造の切れ目に間を置いたり、抑揚や緩急を変えたりすることで、「みにくいーあひるの子」と「みにくいあひるのー子」を容易に区別することを可能にする。

  • 行動主義心理学(言語がすべて後天的な経験を通して学習される)との対立
    →fMRI(機能的磁気共鳴画像法)で文法中枢が左脳前頭葉に2つあることを解明、文法中枢の反応が木構造の階層の深さに応じて定量的に高まる、脳活動が認知的な記憶の負荷とは独立している
    →人間に得意な言語機能の存在を明確に示した。文法中枢は多言語脳の領域、あらゆる自然言語に対して働く

  • 音楽の耳コピ:美しい音に対する普遍的な感覚を身につけられる
    →乳幼児の言語獲得は耳コピから

  • 言語学と音楽に共通する用語:
    ①フレージング(phrasing):音や単語どうしをつなぎフレーズ(句)の外に区切りの「間」を入れること
    ②アーティキュレーション(articulation):複数の音に抑揚(強弱や高低のアクセント)や緩急の変化をつけてフレーズを作ること

  • ダブルリミテッド/セミリンガル:どちらの言語も年齢相応に使えない状態
    →複数の言葉を同時に習得することが母語の発達を阻害するなど、原理的にあり得ない(ex. 東京弁と大阪弁、男ことばと女言葉が混在)
    →問題があるのは置かれた言語環境:会話が極端に少ない家庭、言葉の通じない学校に馴染めない、無理な英語の早期教育(家庭内で無理に英語で会話、母語を封印)

  • 子どもにとって周りの言葉はすべて「一つの言語」(母語を獲得中の乳幼児は「複数の言語がある」ということを理解していない)

  • 脳は、繰り返し現れる刺激を「何か意味のあるもの」として、記憶にとどめようとする
    →同じ文章を何度も聞く、耳コピ(意味は知らず覚える)、双方向の会話を父して相互の意思疎通ができるようになるとそれが自在に使える言語として定着していく

  • 学校の語学は単語中心、それぞれの単語が持つ詳細な言語学的特性を知らない限り、いくら単語を並べても正しい木構造にはならない
    →節や文以上のまとまりとして音声を聞き、その言語特有のリズムである抑揚を大波として捉える
    →繰り返すうちに、ここの単語や慣用句やアクセントの位置といった小波が徐々にわかるようになる
    →抑揚やアクセントのパターンという「型」が脳に記憶されていき、型のバリエーションが蓄積していくほど、新しい型の獲得も容易になる

  • 四技能は表面的な入出力の違い→入力と出力をつなぐ「生成」の部分にあり、生成能力が脳の認知・思考系と結びつくことで、入力に対する適切な「解釈」や、出力に対する豊かな「表現」ができるようになる

  • 外国語の習得はアンバランスで構わない→四技能のバランス向上への疑問

  • 「好きこそ、物の上手なれ」

酒井先生は、上記の研究成果を踏まえて、「書く力」の重要性や英語が身に付く勉強法についても紹介している。

例えばこんな記事で。

魔法のメソッド「忘れない」勉強法
それでも「書く力」が重要だ


独自の勉強法でホームスクールの子どもを国立大学に合格させた先輩親たちのブログをいくつか見ると、異口同音に国語力とそれを獲得するための「視写」の重要性を説いていた。

その辺も改めてまとめたいところだが、母語にせよ第二言語にせよ、入力と出力と解釈・表現を養う上で、書くことは極めて大切なのだと思う。

バイリンガル・マルチリンガルについては、学習方法やさまざまな研究についてまとめたいと考えている。


今回はその初回として記録しておきます。

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