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yanagamiyukiのヤバさについて

 (この記事は企画に間に合わせで書いてしまった為、多分に推敲不足な点がございます。ニュアンスだけ感じ取って頂けると幸いです。後に修正/加筆します。)
𝑴𝒆𝒓𝒓𝒚 𝑪𝒉𝒓𝒊𝒔𝒕𝒎𝒂𝒔、皆。クリスマス当日にも関わらずそこに居るのはサンタさんではなく私、anigmaだ。すまんな。サムネは軽く作ったものなので参考程度で頼む(汗)

 ちなみにこの記事は、直近に投稿された多くの、あるいは過去の私の多くのvocanoteの例に漏れず、素晴らしい企画ボカロリスナーアドベントカレンダーに参加させてもらった記事だ。沢山面白い記事があるので是非ともこの機会に気になった記事があれば読みに行ってほしい。
 このような機会を毎回作ってくれる主催のobscure.さんには感謝の限り。毎度のことながら遅筆で申し訳なくなる私がこうやって筆を取っていられるのも主催のおかげだ。
 ところでそんな私の担当日は……

21日!!4日前!!しかも第一会場!!
サーセン!!!

 まあ去年は年明けたし……遅刻してないだけいいだろう、主催も遅刻していいぞとその背中で示してくれてるしな(カス)
 そんな訳で遅刻の罪悪感を原動力に、こうしてクリスマスにも関わらずせっせとnoteを書いているわけです。同じ人間に生まれたのに、かたやディズニー、かたや部屋の隅で画面と睨めっこ。こっちの方が楽しいから良いのだ。さらばイルミネーション。

 さあ、ということでそろそろ本題に入ろう。今回のテーマはお前らが馬鹿大好きなあのボカロP!
 今更ながら(笑)ミクにトラップをさせたならば右に出る者はいない「yanagamiyuki」について筆者なりに好きなポイントを語る会である!パチパチパチ〜👏👏👏
 なるべく気をつけてはいるが、あくまで筆者の独断と偏見で書いたものであることを注意されたし。


はじめに-ミックホップ-

 yanagamiyukiといえば、「My name is 初音ミク」や「サイバーかわいくないガール」を代表曲にもち、ミックホップを主とするボカロPだ。
 かつてのミックホップ史に類を見ないレベルに卓越したフリーキーなフロウでトラップのビートを軽々しく乗りこなし、一度聞いたら病みつきになってしまうユーモラスなリリックセンスと世界観を特徴とする。
 ここてひとつ、ボカラップとミックホップの簡単な違いだ。ただの歌唱法としてラップを取り入れているボカラップに対して、明示的にカルチャーであるHIPHOPのスタンスをとるものがミックホップということになる。(後者は楽曲のみに留まらない。)
 歌ってみた動画をボカロ曲と呼ぶ事と、原曲そのものくらい違うので、厄介な人に怒られたくなければ気をつけよう(笑)

 ということで、ボカロシーンにてHIPHOPのアプローチを行っているのがミックホップというわけなのだが、HIPHOPはボカロシーンにも似ていて、広く間口を開く一方で、閉鎖的な側面も非常に強い。そのマスとコアのアンビバレンスな感覚の上では時にドラマが見られる。
 例えば紅白にも出場し、オーバーグラウンドで活躍することで日本のHIPHOPシーンから向かい風を受けていたKREVAが、ストリートから強い支持を受けるSEEDAのアルバム「街風」に客演で呼ばれたことや、ANARCHYにZORNと多くのストリートスタイルの一流ラッパーと一緒に曲を作ったことで完全にリスナー達の手のひらを返させ挙句の果てに、まさかディスり合っていたMACCHOとの曲が公開された日には、リスナー達の手は既に捻じ切れてしまっていただろう。
 ボカロシーンの最近のニュースでも、Ayaseがマジミラ2023のテーマソング決定のニュースに大して多くあった批判や不安を、楽曲一つであっという間にねじ伏せてしまったのは見ていて痛快だった。
 これをくだらないと一笑するのは簡単だが、他ではあまり見られないだろうから、時にはシーンを俯瞰してこの様なやり取りを楽んだりしてみる一方で、流れに身を委ね手のひらで転がされてみたりするのも楽しいだろう。

マナーとルール

 さて、前章ではHIPHOPシーンとボカロシーンの開放的で閉鎖的な二面性を語ったが、閉鎖的なシーンにはそれぞれの“マナー”や“ルール”が存在する。今章ではそれぞれのシーンの表現に触れ、その“マナー”について探っていく。

いいかい 此処では御自慢の 顔や名前に意味は無いんだぜ
ジャックオーランタン 頭に被って おんなじ顔で踊ろうや

ハッピーホロウと神様倶楽部

M: でも、終わるのにいつもありがとう!
  沢山の作品をありがとう!
  みんなのおかげで私は歌を歌えます…!
ー 感動的ですね。
M: まあ全部、言わされてるんですけど。

匿名M/初音ミク・ARuFa

 ボカロシーンといえば、ボカロというフィルターを一枚隔てることで生じる、その匿名性が高い文化だ。その同じ仮面の中でボカロP達は切磋琢磨し個性を磨いていく。しかしwowakaハチがかつて肉体性を求めてボカロ界から飛び立っていったことや、ボカロMVの中で実写系の伸びが著しく低いことからも、基本的にはボカロP自身の身体性、ひいてはリアリティを帯びること、あるいは求められることは少ないと言っていいだろう。これは暗黙の了解、“マナー”と言えるかもしれない。
 ではHIPHOPの方はどうだろうか。

Now man, these pussy niggas puttin' money on my head.
Go on and get your refund, motherfucker, I ain't dead.
(あの腑抜け達は俺に金をかけた。返金してもらえよ、クソ野郎。俺は死んでねえ。)
(地元の麻薬王をDisった仕返しに9発撃たれた話)

50 Cent ‐ Many Men(Wish Death)

Fu-fu-fuck a beat, I was tryna beat a case.
But I ain't beat that case, bitch, I did the race.
(ビートなんて知るか。打破しようとしただけだ。だができなかった。クソが、レースは俺の勝ちだ。)
(強盗殺人事件に関与し、保護監察処分に置かれるも脱走し警察から逃走中にリリースされた曲)

Tay K - The Race

 脱線してしまうためサンプルが少なくて申し訳ないが、HIPHOPシーンではボカロシーンと真反対に、極端な程に“マナー”としてその身体性やリアリティが求められる。それは時にその証として、明け透けに犯罪経験と結び付けられる程だ。
 韻を踏むだけではリスナー達にはラッパーやHIPHOPとしては認めてもらえない。これはボカラップとミックホップの違いにも言える。
 では、“犯罪=リアル”なのか?よくある勘違いであるが、ストリートにその名を轟かす、日本のHIPHOPの重鎮である漢a.k.a.GAMIはこう語る。

寅:どんなライフスタイルなり、それに対して向き合っていれば「それってリアルだろ?」ってことなんでしょうか。

漢:そうだね、例えば大学生だったり、そこにもいろんなそれぞれのリアルがあるし、そういうことを表現していいんだ…ってことに気づいるんだろうね。

The Recommendation from 寅壱 #7 “漢 a.k.a. GAMI(9SARI GROUP)”

 実際に、それぞれが自分のその目で見たことに対してしっかりと芯を持って向き合い個性を出すことができていれば、等身大のリリックでもHIPHOPフェス「POP YOURS」に呼ばれるなど、リスナー達には受け入れられている。

遊びじゃないあれはデート 俺はそう思ってたけど
LINEはゲット出来てないし 未だに、えっと…彼氏じゃないし

dodo - im

何もねぇ川ひとつ挟んだ街の平凡なboy
達者な口と華奢な腕 しつこさだけが取り柄

MC TYSON "I Need" feat R-指定

 ここで少し話を戻そう。ミックホップ史(こと楽曲群)はHIPHOPの中でもよりナードな、文系ヒップホップ的なノリによって紡がれてきた。そしてそれはあくまでクリエイターの身体性やリアルさを追求しないボカロシーンの内部で発展してきたことと無関係ではないだろう。文系ヒップホップ的なノリにおいても、殊更ミックホップにおける身体性やリアリティの表現は少ないといえる。それらオルタナティブな潮流であることはそれぞれのシーンからの反応度合いとは関係なく、楽曲や表現の善し悪しとは全くの別だ。
 しかしここでは敢えて、先程言及したアンビバレンスなバランス感覚の上で成立する面白さを踏まえてそれを追求してみたい。それぞれのシーンの“マナー”に則って、メジャーなボカロとHIPHOPの表現をミックスすることは不可能なのだろうか?
 簡単に言えば、透明性や匿名性が強いボカロシーンの中で違和感を出すことなく、不透明性を帯びた「リアル」を追求するにはどのようにすればいいだろうか。

身体、韻踏み

 ボカロシーン内部でどのように「リアル」を追求するかは非常に難しい問題だ。絵の具を混ぜればあっという間に彩度が下がってしまうように、不透明性に傾きすぎないように細心の注意を払う必要がある。
 例えば人間とVOCALOIDによるHIPHOPクルー"震える舌"による"VOCALOIDと歌ってみた"的アプローチはそのアンサーの内の一つとも言えるだろうが、ガランドロキにおける人間歌唱の主張が添え物の様であることを考えると、ただでさえ不透明なHIPHOPの表現は少々不透明性に偏りすぎてしまうかもしれない。


 次にボカロキャラ視点のリリックというアプローチだ。これもまたオリジナリティに富んでおり「ボカロのリアル」という意味ではとても面白いアプローチだが、今度はやや透明性に偏ってしまっている。リスナーからすると感情移入が難しいだろう。


 文句ばっかり言いやがって!と思われるかもしれないが(笑)ここまで来てボカロのメジャー表現と身体性やリアルの丁度いい塩梅というのは難しいということが理解していただけたのではないかと思う。では実際問題、どうすればいいのか。灯台下暗し、yanagamiyukiが快作「My name is 初音ミク」にて披露した答えは単純明快なものだった。

Yanagamiyuki in the 初音ミク
根暗 陰キャ でも シンガー ラッパー 初音ミク

My Name Is 初音ミク

 yanagamiyukiはその身体性や、その目で見てきたもの─リアル─を他でもない"ボカロP"として出力してみせた。同じ仮面を着けることが邪魔でリアルさがないのならば、その仮面を着けている自らの身体ごとアイデンティファイしてしまえばいいのだ。
 しかもHIPHOPにおけるin the houseやin the buildingといった表現に初音ミクを適用することで、たったの一文であっさりとボカロPとマスターという関係値を身体性に落とし込んだ。やられた。
 また、オーバーグラウンドで活躍するKREVAやR指定は自身が足を着けている地がしっかりとHIPHOPであることを表明するために、しばしばカルチャーへの帰属意識を表明する。これはyanagamiyukiにもよく見られる表現だ。ミックホップはボカロシーンの中でもオルタナティブな存在であるためか、HIPHOPカルチャーへのリスペクトを表現することはあっても、ボカロカルチャーへの帰属意識がここまで強く表現されることは少なかったかのように思える。ボカロPの中身という身体性とボカロカルチャーへの帰属意識を強く打ち出し両立するスタンスはミックホップ史においても見られなかった表現ではないか。(このnoteを執筆するにあたって軽く見返してもきたが、筆者が浅学であったら申し訳ない。)

俺はここの開拓者 俺がいなくちゃ始まらない
でも いなくなったらどうする? 残された皆が苦労する

KREVA - 無煙狼煙

I’m a rapper, Mr Champion, no gangster だが看板かつ顔役
Amateur かつ Professional No.1 ヘッズ No. 1 キッズ No .1ファン

Creepy Nuts - 顔役

命の自由意志を ねじ込む0.2秒
上位互換のボカロPがいてなお 書く意味を

Vocaloid Become Human / 初音ミク

ボカロPがシンガー?ラッパー? まだ無理があった
誤魔化しは一切効かないワ道は茨

ピーナッツくん vs やながみゆき - 未来NEXTメシ (prod. yanagamiyuki)

 改めて考えてみると、ODDS&ENDSやアンノウン・マザーグース砂の惑星などボカロPが個人とボカロの関係性を通して、その仮面越しに身体性を表現するのはボカロシーンにおいてはしばしば見られる表現であった。その表現がミックホップにおいて表面化しなかったのは、メジャーのHIPHOPシーンとボカロシーンの両方からも距離を置いたスタンスが結果的に生み出したものかもしれない。
 以上をもって、当記事はyanagamiyukiの表現がボカロが持つ透明性とHIPHOPが持つ不透明性の融合といった課題へのアンサーとして満点という「yanagamiyukiのヤバさ」を主張する。

おわり

 当記事は本当に書きたかった内容が終わりそうになかった為に、誠に残念ながらも代わりに書くことになった記事だ。しかしその記事については調子が良ければ近々投稿される予定なので、期待してもらえると嬉しい。これからも言語化が少ないHIPHOPカルチャーとボカロカルチャーの相似について興味深い記事を投稿する予定だ。

 この記事が良かったらリツイートや拡散などして貰えると筆者が喜ぶ。ついでに暇な人はこの記事にいくつか"仕込み"を忍ばせたので、読み返しがてら探してみると暇が潰せるかもしれない。それでは。

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