「人生の主人公」における2つの「主人公」とメタについて

第4話

↑↑↑前回から"第n話"と書くようにしたんですよ。
別にフィクション小説を書いてるわけではないんですが。

自分の日々の記録は物語となり、
その中では自分は主人公で、
行き着く先はハッピーエンドがいい
という望みの表れなんです。

今、「自分は主人公」と書いたわけですが、
私、「主人公」には2つの意味があると思うんですよ。

一般的に、「君は人生の主人公だ!」と言われる場合の「主人公」は、
この世界(=物語)の最重要構成要因であり、
自分の行動によって世界を動かすことができる。

主体的•能動的「主人公」

として用いられていると思うんですよ。

でも、
読む作品にもよると思うんですが、
主人公って、事件とか出来事に"巻き込まれる"側じゃないですか?
本当に読む作品によるんでしょうけど、
あんまり主人公が自分の意志で事件とか起こされてもらっても
感情移入しにくいじゃないですか。
つまり、本来的な意味として「主人公」は

客体的•受動的「主人公」

なんですね。


ここからは私自身の話になるのですが、
私は、この身体に自我を持って生まれた以上、
自分を主人公だとだと思ってしまうんですね。
誰だってそうだと思います。

で、ではどっちの「主人公」だと思っているかというと、
この間までは後者の、客体的•受動的「主人公」でした。

なんなら私は、
私に事件を仕掛けるシナリオライターの存在(一般的には神様とかいうものです。)
を信じていたので、私の人生は

登場人物が作者の存在を言及する
メタ表現のあるギャグ漫画

だと思ってましたからね。

でもこの間(3日前)、noteを始めてから、
前者の主体的•能動的「主人公」に
なった気がします。
気がするだけ。
現実はそう上手くはいきません。
まだまだ日常を対処するサイドの自分も生きています。


あと、少し思ったのが、
こうやってnoteを書くことによって、

後者や前者の「主人公」よりも高次な
「作者」

になろうとしているのではないか、と。
まあ出来事より後の時間に書く"後出し"なのですが、
人生の「作者」になりたい欲求があるのではないか
と思いました。

そういえばさっき「メタ表現」と書きましたが、
「メタ」って「高次の」という意味でしたね。
なんか繋がりましたね。
「メタ発言」とか「メタい」とかってマイナスイメージで、
「高次」のイメージとは繋がりにくかったんですけどね。

書いてみると整理されますね。

以上です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

三日坊主回避!

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