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「推し、燃ゆ」 宇佐見りん

「推しがいなくなったらあたしは本当に、生きていけなくなる。あたしはあたしをあたしだと認められなくなる。」

  


「推し、燃ゆ」 宇佐見りん


あかりには、必要でした。
絶対的に、必要でした。


推しの存在がすべてでした。
推しは自分そのものでありました。


その推しが炎上します。


推しが燃えた。
ファンを殴ったらしい。


強烈且つ、象徴的、忘れ得ぬ印象的な冒頭により、その瞬間から物語へと誘われます。


「まざま座」という男女混合アイドルグループのメンバーである上野真幸
(まさき)の熱狂的なファン(推し)である高校生・あかり。


彼女は学校の保健室で、病院への受診を勧められていました。病名は、
はっきりこの小説内では記されていませんが、推測するに、発達障碍の
ような、また心に何かを抱えているかのような、そんな感じでありました。


あらゆる状況で生きにくいと感じているあかりは、すべてを推しに捧げていました。


アルバイトの給料をほとんど推しに使っているし、推しに対するブログも公開しています。


CDやDVD、放送された番組を何度も見返して、言葉や行動を解釈するのがあかりのスタイル。


あかりが上野真幸に出会ったのは、感覚的に痛みを伴った衝動でした。お互いに痛みを抱えている感覚が、推しの存在を絶対的なものへと昇華させていったのです。


あたしは彼と一体化しようとしている自分に気づいた。


あかりは推しを懸命に支えます。


しかし


事件のことが重くのしかかりメンバー内の投票では最下位。


あかりはバイト代もほとんど使ってCDを50枚も買ったのにかかわらず、
それでも、もうちょっと切り詰めていたなら、順位が上がったのでは
ないかと自分を責めるのです。


あかりにとって、推しは生活の背骨になっていました。


「推しは命にかかわるからね」


依存をすでに通り越し、上野真幸という存在は、彼女の「レーゾン・デートゥル」になっていました。


体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。

つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。


あかりは、バイト先でよく失敗をしました。お姉さんやお母さんとの関係もよくありません。


彼女の生き辛さが、宇佐見りんさんの鮮やかな筆致により、一枚一枚剝がされてゆき、行き場のない実像が浮き彫りになってきます。


その痛みを感じます。目をギュっと瞑り、奥歯をギリギリと噛みしめた
ときのような、怒りにも似た生きづらさを感じます。


そして


恐れていたことが現実になります。


あかりの高校中退と、上野真幸の引退が重なり、彼女の背骨が折れて
しまいます。


やめてくれ、あたしから背骨を奪わないでくれ、と思った。

推しがいなくなったらあたしは本当に、生きていけなくなる。あたしはあたしをあたしだと認められなくなる。冷や汗のような涙が流れていた。

ずっと、生まれたときから今までずっと、自分の肉が重たくてうっとうしかった。いま、肉の戦慄(わなな)きにしたがって、あたしはあたしを壊そうと思った。

滅茶苦茶になってしまったと思いたくないから、自分から、滅茶苦茶に
してしまいたかった。


そんなバラバラになった自分の骨のような綿棒を、思い切り、思い切り
ぶちまけます。自分への怒りや、かなしみを叩きつけるようにして。


二足歩行できなくなったあかりは、それでも這いつくばり、自分の骨(綿棒)を拾います。膝をつき、頭を垂れて。


あかりは無意識の依存から離脱し、這いつくばりながらでも生きようとしていました。その自意識に僕は、自分自身の不器用さが重なり、常に不安に陥りがちな自分にもある「生きづらさ」の実態を思い知らされました。


また這いつくばり、もがいて生きようとする彼女の姿に、得体のしれない力をもらった感覚がありました。


第164回芥川賞受賞作

  


【出典】

「推し、燃ゆ」 宇佐見りん  河出書房新社


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