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「むらさきのスカートの女」 今村夏子

「 残念ながら「黄色いカーディガンの女」は、「むらさきのスカートの女」と違って、その存在を知られていない。」



「むらさきのスカートの女」 今村夏子



「わたし」の家の近所に


「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。


その女はいつも「むらさきのスカート」を穿いていたので、そう呼ばれていました。


決して若くはなく、小柄で、肩まで垂れ下がったパサパサのツヤのない黒髪。


一週間に一度、商店街のパン屋にクリームパンを買いに行きます。


「わたし」は、パンを選ぶふりをして彼女を観察しています。


それから彼女は、いつもの公園に行き、「むらさきのスカートの女専用シート」と名づけられたベンチに座り、クリームパンを食べるのです。


近所では珍しい、ちょっと有名な存在のむらさきのスカートの女。


あちらが「むらさきのスカートの女」なら、こちらはさしずめ「黄色いカーディガンの女」といったところだ。

残念ながら「黄色いカーディガンの女」は、「むらさきのスカートの女」と違って、その存在を知られていない。


むらさきのスカートの女が見えたただけで、人々は反応します。


一、知らんふりをする者。

二、サッと道を開ける者。

三、いいことあるかも、とガッツポーズする者。

四、反対に嘆き悲しむ者

(むらさきのスカートの女を一日に二回見ると良いことがあり、三回見ると不幸になるというジンクスがある)


なんか、ご近所では彼女が都市伝説化してるような感じなんです。


彼女が公園でいつものようにクリームパンを食べていると、子どもたちの遊びの標的にされたりします。


ジャンケンで負けた子どもが、むらさきのスカートの女の肩にタッチするという遊びです。


そんな彼女ですが、人々のそういった反応には一切無関心で、特技であるのか、人ごみの中をスイスイ~と人や物にぶつかることなく、よけながら進んでいきます。(人にどう見られてようと関係ないような感じをあらわしているのでしょうか。)


「わたし」はそんな彼女と友だちになりたいと思っています。だからか、彼女に対する観察がどんどんエスカレートしていきます。


読んでいるうちに、「わたし」の彼女に対する執拗さが際立ちました。


詳細に彼女の分析をしていて、むらさきのスカートの女本人よりも、彼女のことをよく理解しているのです。


仕事に就いたり、辞めたりを繰り返している彼女。


公園の「むらさきのスカートの女」専用シートに「わたし」の職場へ面接に来るように、わざわざ求人情報誌を置いて誘導します。


そして


「わたし」の職場(ホテルの客室清掃員)へ彼女は思惑どおりに決まるのです。


はじめは、不器用な感じでしたが、あいさつがちゃんとできるということだけで、所長やチーフから可愛がられ、彼女は、職場に溶け込んでいきます。(日頃は、あいさつができないということだけで、苛められ、辞めていく人が多い職場のようです。)


しだいにパサパサの髪も「わたし」がこっそりアパートに置いた試供品のフレッシュフローラルの香りがするシャンプーでしっとりし、女性らしい身なりになり、どんどん垢抜けていきます。


公休日の翌日


朝の混雑したバス通勤で、むらさきのスカートの女は痴漢の被害に遭います。(「わたし」はその現場付近で彼女を観察しています。)


むらさきのスカートの女は、職場のみんなから同情されました。


むらさきのスカートの女は、いつしか好感度が上がっていました。


翌日から彼女は、通勤のバスに乗っていません。「わたし」の分析では、バスの時間を変えたと思っていました。


しかし


「わたし」は耳にします。職場での噂を。


むらさきのスカートの女は、所長とつきあっているという噂。痴漢にあった翌日から、所長の車で送迎されているらしい。


まさかと思って確かめると、確かにつきあっている様子。所長がアパートの前まで車で彼女を迎えに来ていました。


いつのまにか2人は、不倫関係に陥っていたのです。


そこから、むらさきのスカートの女の株は、大暴落。影で仲間から悪口を言われ出します。


悪口を言われ、噂は大きくなり、膨らんでいきます。


むらさきのスカートの女の噂が出れば出るほど、スタッフたちは絆を強めていくようだ。

これ以上、「所長のコレ」にのさばらせておくわけにはいかない、あいつがクビにならないなら、みんなで本社に直談判しに行こう、という話まで持ち上がった、そんな矢先に事件が起こった。

とある小学校のバザーに出品された品物が、ホテルの備品ではないか、という通報があったのだ。


盗難の疑いが彼女にかかります。


「○○泥棒」


とまで言われます。


この段階になって、はじめは変わった女(ひと)だと思っていたむらさきのスカートの女よりも、変だと感じてきたのは、同僚のスタッフ、所長、そして、黄色いカーデイガンの女(「わたし」)。


徐々に頭の中で、「普通」が「異常」に変換されていきます。


「コンビニ人間」で感じた、普通と言われる人たちの普通ではない異常さが、ここでも浮き彫りになります。


いや


もっと世間の集団心理の異常さ、証拠がなくてもそれが事実のようにまかりとおってしまうといった不気味な怖さが、まるで至近距離からボールを思いっきりぶつけられたかのように、痛みが身体を突き抜けていきました。


そして


所長、むらさきのスカートの女、「わたし」の絡んだ異常な、場面、場面、場面が、カメラを止めない1カットで撮られたシーンのように、臨場感ある「怒涛のラスト」へと導かれてゆきます。


ここでも、むらさきのスカートの女が「普通」に映ります。異常なのは、普通の仮面をかぶった人たち。素顔のほうがウソつきな人たち。


物語の最後は、黄色いカーディガンの女がむらさきのスカートの女に憑依しているかのようでありました。


また


ファーストシーンに戻ってループするような感じで、この物語は唐突に終わりを告げました。


なんとも


純情・愛情・過剰に満ちた異常な物語でありました。



第161回芥川賞受賞作。


【出典】

「むらさきのスカートの女」 今村夏子 朝日文庫


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