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【長崎】見ておきたいものが、そこにあった

叶うことならもう一度、足を運びたい。

こんばんは。今日は、その日だから。書き残しておこうと思います。

2017年4月に、推しグループのコンサートへ参加するため、長崎へ行きました。参加できたのは、偶然の巡り合わせ。

元々行く予定だった他の場所のコンサートに、推しさんが急きょ出られなくなってしまったため、チケットを払い戻して。その分でどこへ行こうか、と考えたとき。
ちょうど行けそうな日程だったのが、既にチケットを取っていた福岡公演の前日にあたる、長崎公演でした。

当時の上司は、長崎出身。「ぜひ、自分の出身地に足を運んで欲しい」と、休みを取ることも快諾してくださいました。
何なら、おすすめのお店リストをわざわざくださるくらいの、力の入れよう。

早朝の飛行機で、意気揚々と、長崎へ旅立つことができました。
せっかく長崎へ行くなら、どうしても立ち寄りたかったところ。それが「原爆」にかかわる場所、でした。

平和祈念像
推しぬいを添えて。長崎原爆資料館へ。
浦上天主堂
浦上天主堂のあたりからの景色

生きているうちに、見ておかなければならない。切迫感というか、義務感というか。そんな思いにとらわれて観に行ったことを、思い出します。
原子爆弾の模型や、爆風で吹き飛んでしまった、浦上天主堂の壊れた壁のレプリカ。
熱線で真っ黒に焦げた石。後遺症で肌が焼けただれ、ケロイド状になってしまった人たちの写真。
見るものすべてが、痛ましく。思わず目を背けてしまいたくなるものばかりでした。

こんなことが、かつて地球上で起きていたのか。そんなふうに思わずにはいられませんでした。
資料館を出た後は、しばらく食欲もなくて(後のコンサートのことを考えて、なんとか食べた)、コンサートに行けるようなテンションになれなかったことも、鮮明に覚えています。

とはいえ。人間は忘れてしまう生き物だから。叶うことなら、もう一度。
足を運びたいと、思い続けています。
広島にも、まだ行けていない。ずっと行きたいという思いを抱え続けています。

戦争に関することを大学で学んでいたせいでしょうか。この時期になるとどうしても、第二次世界大戦や太平洋戦争の話題がテレビで放送されるたびに、気になってしまいます。
原爆含め、沖縄戦や本土空襲などで受けた被害や犠牲だけでなく、かつて「大東亜共栄圏」と呼ばれた「植民地」に、日本が課した行為も。
両方の「影」を、知りたい。

わたしの祖母は、今年の誕生日で95歳になります。一日の大半は、自宅のベッドの上で、寝て過ごすようになりました。
戦時中を知る人たちは、次々と鬼籍へ入られている。あまり考えたくないけど、祖母だって、その例外じゃない。
こうして失われていく「記憶」を、ほんの少しでも、継承していく必要があるのではないか。8月になると、毎年そう思わずにはいられません。

今わたしが、わたしたちがここにいるのは、先代の方々が生き延びてきたからこそ。
思いを馳せながら、今年もまた、年を重ねることができたことに安堵する。
そして、祈る。月並みかもしれないけれど、平和でありますように、と。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。


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