【あの日】今日、ここにあることに感謝
あの日。13年前の今日のことは、断片的に覚えている。
前年に新卒で入った職場を辞めたわたし。関東から名古屋の実家へ戻り、職業安定所へ通っていた。
運よく職業訓練を受けることができたので、名古屋駅近くにある学校に通い、医療事務資格を取るために学んでいた。
昼食を終え、午後の講義が始まって1時間半くらい経ったくらいの時間だろうか。
教室にいた人たちのスマートフォンがけたたましく鳴り始めた。誰かが間違えてアラームを設定したのかと思ったけど、ひとりやふたりのアラームの音じゃない。うるさくて、授業にならないくらいの音。
このときは知らなかったけど、今思えばその音は「緊急地震速報」だった。
当時の教室は、確かビルの7階だったと思う。アラームのような大きな音が鳴ったかと思うと、教室はゆっくり横に揺れ始めた。
「地震だ」
そんな声があちらこちらから聞こえ始め、みんなが一斉に机の下へ隠れた。学校で習った、避難訓練のように。
その揺れは、体感で1分から1分半ほどだったと記憶している。ゆらゆら揺れるのが気持ち悪い。
気分が悪くなったんじゃなくて、これは地震なんだよね。机の下へ隠れながら、そんなふうに思っていた。
やがて揺れが収まり、何事もなかったかのように授業は再開された。外で今、何が起きているかもわからないまま。
夕方16時過ぎか17時ごろ。授業が終わり、名古屋駅に向かって歩きながら、スマートフォンで電話をかける。いつものように、母へ「これから帰るよ」と電話するために。
が、なぜかつながらない。何度かけてもつながらない。料金の未払いでもないはずなのに。
ふと辺りを見回せば、周りにも同じような人を多く見かけた。みんな電話がつながっていない様子。
これは、ただごとじゃない。
そう直感し、たまたま空いていた公衆電話へ駆け込んだ。お釣りが戻らない100円硬貨しか持っていないけど、非常事態だ。そんなこと言っていられない。
「なんでかわからないけど、電話がつながらなくて公衆電話からかけた」
そう、母に伝えると。
「東北の方で、大きな地震があったらしいよ。心配だから早く帰ってきて」
東北で地震……?
ここは、遠く離れた名古屋。確かに昼間に揺れたけど、関係あるのかな……?
不思議に思いながら、電話を切って。そそくさと電車に乗って家へ帰った。帰宅ラッシュの時間。だけど、その割にはもっと電車が混んでいたような記憶がある。
帰宅すると、母も祖母もテレビを見ている。テレビに映し出された光景を見て、ひとこと発するのが精いっぱいだった。
「何、これ」
家が、川に流されている映像が延々と放送されていた。テレビのチャンネルを変えてみても、どこも同じような映像。
「津波がきたんだって」
母のひとことに、はっとする。一瞬のうちに、人が住まう場所を呑み込んで行ったというのか。
津波の被害に遭ったことはないけれど、母と祖母は過去に台風の被害を受けている。1954(昭和34)年の伊勢湾台風だ。
東海地方に甚大な被害をもたらし、死者は5.000人にも上ったという。
台風よりももっと一瞬で、ここまでの被害が出るなんて。怖くてしばらくぼうぜんとしていた。
あれから13年。その頃から変わったことも多いけど、今もこのときのことを、3月11日になるたびに思い出す。
今日は天気も良く、たまたま仕事も他の予定もなかったから。気分転換に近所を散歩していた。
ふと見上げれば、薄い雲のかかった青空。
ああ、わたし、生きてる。
空を見上げたこのときだけは、抱えている不安や悩みはどうでも良くなって。わたしも家族も「生きてる」ってことに感謝した。
命さえあれば、なんとかなる。
そんなふうに思った、13年目の、3月11日。
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