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二つの神宮がこの地にある理由  「鹿島神宮・香取神宮」

茨城県には鹿島神宮、千葉県には香取神宮がある。
出雲の神を屈服させ国譲りを成功させたタケミカヅチとフツヌシノカミがそれぞれ祀られている。
かつて、伊勢神宮の次に格式高いのはこの二つ神宮において他に無し、と言われるほどに政治的にも宗教的にも重要視されていた。



どうして出雲を制圧した神がこの土地に来たのか。それは東征と関係がある。神武天皇から坂上田村麻呂まで、東国以北のまつろわぬもの達を制圧する拠点として、常陸国が選ばれた。鹿島の神は蝦夷の平定神だったのだ。

この地は肥沃な大地に干潟や内海があり、実り豊かな場所だと、常陸国風土記には書かれている。ここをおさえることは朝廷としても重要だったのだろう。かくして東征は成功し、アテルイは首を刎ねられた。



その後、この地には力を持った豪族が現れる。平将門だ。彼らは坂東武士の起源の一つ。類い稀なる武力を誇り、水軍をあやつり、そして東国の独立を標榜した。最後には制圧されるものの、平将門は朝廷にとって最恐の怨霊であり続けている。
将門の力はこの地の地理的・政治的要因が大いに関係したのだろう。


明治維新の時、東北はもう一度「朝敵」となったことがある。奥羽越列藩同盟だ。その際も、この二柱の神は東北に睨みをきかせていたのだろう。同盟は秋田藩の離反を機にあえなく征圧されてしまった。



境内には、鹿島さまの藁人形がかけられていた。鹿島は武神として名高い。秋田でみた人形道祖神の名前は「鹿島さま」。この武力にあやかってつけられたものだ。色々と考えさせられる。



武蔵国からはじまり、下総国と常陸国、そして陸奥国へつながる回路はだいだらぼっちだけではない。大変や。


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