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『海のまちに暮らす』 その3 海のみえる図書館で働く



 朝、まだ暗いうちに目が覚めた。昨晩眠りについた時間はそれほど早くなかったが、こういう時は起きてしまったほうがいい。

 湯が沸くのを待つあいだに雨戸を開ける。太陽はまだ薄紫の水面の裏へ沈んでいて、その輪郭からほとばしる熱のようなものが既に大気中にあふれている。マットレスを窓の桟から外側へ干す。

 薄暗い机に戻って、MacBookを立ち上げる。この時刻の部屋に漂う淡い印象が好きだ。日がのぼる前、明かりのない室内に朝の光が横向きに細く、差し込む時間を愛している。日光というより、日光になる前の光。これから地表へ広がろうとする頼りない色彩の粒子のようなものだ(あるいは単なる哀愁みたいなものかもしれない)。いずれにしても「さあ、これから溌剌とした一日がはじまります」というたくましい予感ではなく、段階的で緩慢なシーンの移り変わりだ。すべての一日が力強く幕を開けるわけではない。むしろ弱々しく開始される一日のほうに、ごく自然な親しみを持つことができる。


 食べられるものを口へ入れて、家を出る。おおみち通りを海側へ進むと石造りの外観をした図書館がある。ここで週に何度か働いている。真鶴へ移り住む少し前に、役場が図書館の求人を出しているのを見つけたのだ。

 オート開閉のドアを開錠し、開館前の朝の図書館に足を踏み入れる。ブラインドシャッターの紐を引き下ろし、館内の窓を開け放つ。町内でも比較的小高い位置にあるここからは、家々の屋根の色彩豊かな重なりが一望できる。落ち着いたオレンジやくすんだ青色、草色、ベージュ、紫、灰色。それぞれの色面が傾斜に沿って規則正しく肩を並べている。

 その整列はどこかに不自然な隙間が空かないよう、誰かが慎重にパズルを配置したようにみえる。大きなマンションも背の高い建造物も見当たらない。同じスケールの家屋同士が陸地の限り生真面目に続き、景観の背面にどこまでも広い海が青い線を引いている。コンパクトな町のスケールに対して、その海はいささか大きすぎるように思える。対岸に陸地がないので果てしなく遠く、恐ろしく全方向に長い。

 湯を沸かすために事務室へ戻り、プリンタを起動させると、ぶうんという低いうなりをあげてプリンタが動き出す。窓から吹き込んだ海風が館内を駆け回る。棚いっぱいに並べられた本の群れが、控えめな呼吸をするように小さく波打つ。その微弱な息づかいを僕はかすかに感じとることができる。そこかしこで鳥の声がする。朝の図書館は思いのほか、生命の予感に満ちているのだ。

 「のもとくんおはよう」

 そのうち司書のUさんが来て朝刊を取り分ける。僕はポストへ返却された本の状態を確認し、書架へ戻す。本はおおよそジャンルごとにコードが振られ、配置が決められている。うちは小さな図書館だから、とUさんは言っていたが、それでもバックヤードと合わせたらかなりの量の蔵書がある。そしてこんなにも多くの作家がさまざまな本を書いている。

 その日は新刊が何冊か届いたので、仕分けをしてコンピューターに登録した。開館後はカウンターで来館者の応対をしつつ、合間に蔵書の整理をする。昨年の一日あたりの利用客の平均は八十人ほどだったそうだが、現在は四十人前後に落ち着いている。世間の状況を思えば、館内消毒を徹底してはいるものの、誰が触ったかわからない本を読むのにはやや抵抗があるのかもしれない。それでも毎日スポーツ紙を読みにくる人や、経済雑誌の複写申請を持ってくる人、時代小説を抱え込むように借りていく人、海側の閲覧席を愛用する人などの常連の客層が存在し、この図書館は今も静かに回り続けている。

 アルバイト先であることを抜きにしても、図書館はこれ以上ない空間だった。館内は風のない森林のごとく、その静寂の内側で好きなだけ本の背を眺めていられる。暇のある時は適当に一冊の背表紙を開き、冒頭の一文だけを目に焼き付けて、頭の中で繰り返しながら書架の間を歩いていた。

 時々は来館した客とカウンターで他愛のない話をする。ある老人は来館すると自作のB5サイズの学習ノートを見せてくれた。聞くとそれは自身の見聞きしたことを記入するための日記帳らしく、株価のことや天気のことがきっちりと行間を守られて書き連ねてある。別のページに貼られているのは、コンビニで売られているおはぎのパッケージ裏にある成分表示のシールである。とにかくルールはないようで、自分にとって興味深ければ何でも良いのだそうだった。その人はいつも山側に面した閲覧席に座り、コピーを取ってくれないかと僕の所へ頼みに来ては、印刷が済むまで館外へ一服しに出かけるのだった。

 来館者のほとんどは地元に暮らす高齢者か親子連れで(時折町外の研究者や学生が来た)、各々が好きな本を借りていき、読み終わると返しにきた。その文化的な新陳代謝の循環をこのカウンターから見守るのが自分の仕事だった。彼らの口からは手に取った本がどれほど興味深く、また退屈なのかを聞かされることもあり、そのたびに僕は予期せぬ本の内実を打ち明けられる窓口として耳を傾け、結果として思いがけない分野にまつわる興味の裾野を無作為に広げていくこととなった。園芸、スポーツ、遺産相続、政治、洋裁、観光、美術、料理──。

 また昼休憩の時間には本が読めた。書架から目についた手頃なものを手に取って事務室へ戻り、その行間を夢中でたどるような日もあった。気に入った本はそのまま貸出処理をして、家へ帰って続きを読んだ。つまり自分は日々町民へ本を提供する業務に従事しながら、そのサービスの積極的な利用者の一人なのだった。

 昼過ぎに近所の人から差し入れがあり、ソフトボールほどの張りのあるみかんがビニール袋に押し込められて事務室の机に置かれていた。退勤後にそれを二つ持ち帰る。袋の口から昼間の日差しの匂いがする。おおみち通りを通り過ぎると目の前に真鶴駅がみえてくる。その後ろには箱根へとつづく遥かな山並み。頭上に覆いかぶさる空は燃えるように激しい桃色に塗りたくられて、そのままこちらへ降ってきそうなほど眩しい。


 帰宅してみかんを編みかごに入れ、台所で米を研ぐあいだにあたりはずいぶん暗くなっていた。炊飯の合間に運動をする。とはいっても、自分の体重の負荷で行うことができる簡単なメニューをこなすだけだ。腕立て伏せ、シットアップ、スクワット。それからゴム製のチューブを使ったいくつかの動き。それらを決まった数だけ食事の前にやり終える。背中が熱をもって膨らみ、炊飯器が間の抜けた音を鳴らす。

 食事を終えるとシャワーを浴び、ストレッチをして眠る。明かりを落として翌朝までの一時的な暗闇の中に身を横たえる。そして静かに、当たり前のように意識を失っていく。映画のシーンが次の幕へと切り替わるみたいに。


つづく

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