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ありがとう西武大津店の中の“本屋さん”。もしかして、記憶の中の。

 新潮社主催の第20回「女による女のためのR-18文学賞」の大賞が、宮島未奈さんによる『ありがとう西武大津店』に決まったというニュースを知り、ポン、と心臓が跳ねた。そして作品が掲載された『小説新潮』2021年5月号を読み、プルプルと胸が震えた。
 作者が個人的に知り合いだとか、読者賞および友近賞のトリプル受賞の名に恥じない読み応えのある内容だったとか、そういう理由ではない。いや、作品自体はひじょうにおもしろく、新人さんとは思えない完成度の高さにビックリしたのだけれど、私が反応したのはそこではなく、タイトルだった。ありがとう西武大津店――私自身が、その言葉を何度も何度も心の中で唱えたことがあるから。

西武大津店

(画像は産経ニュースより) 

 小学校の一時期を、滋賀県栗東の町で過ごした。そう、競走馬のトレーニングセンターのある、あの栗東である。リットウ、と読む。武豊騎手の出身地だ。
 このころ、免許取り立てだった母の運転する車で、月に2回くらい、西武デパート大津店に通っていた。母のヨロヨロ運転にゆられること30分、不安がマックスに高まるころ、船のようなカタチをしたおしゃれな白い建物が眼前に現れる。そこで私の気分は一気に高揚する。めざすは、上階にある“本屋さん”だ。なんとそこは立ち読みOK、まんが本がなぜか天上からぶら下がっている、まんが好きでオタク魂が芽生え始めた小学生女子にとって、天国のような“本屋さん”だったのだ。

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 小説『ありがとう西武大津店』には、<四十四年間の歴史に幕を・・・・>とあるので、私が通っていたのは開店してまだピカピカのころだったようだ。本と雑誌とまんがと文房具にしか興味のない当時の私がデパートで立ち寄る場所といったら、書店しかない。母が他のフロアで買い物をしている間、私はそこのまんがコーナーで、好きなだけ立ち読みに興じた。ときどき、母の機嫌のよいときは、選びに選んだ本を買ってもらえたこともある。しかし、たいていの客(いい大人たち)は、立ち読み専門(?)に思えた。しかも床に座り込んで、だ。
 先に書いたように、「まんが本が天井からぶら下がっている」風景は、比喩でも何でもなく、当時の私が実際に見ていたものだ。最初は、ふつうに、棚に陳列されていたと思う。でもある日フロアに足を踏み入れたら、まるで店が「さあ読め、好きなだけ読め、堂々と読め」とうたいあげるように、商品であるはずの本が、つり下げられていたのである。

 もしかしたら、この記憶は、私が勝手につくりあげたマボロシなのかもしれない。数年前、そう思ってネット検索をしたが、思い出を共有できそうな書き込みは見つからなかった。
 小説を読んだのを機に、もういちど調べてみようかと思ったが、やめた。マボロシならマボロシでいい、幸せな記憶として刻み込まれているのだから、そのまま墓場までもっていきたくなった。それに、あまりの立ち読みの多さに書店が経営難におちいったとか、その手のブラックな大人の事情を知るのも怖かったし。
 いまや本は、ネット書店で買うものになった。スマホでポチれば、翌日には自宅に届く時代だ。広いフロアを行ったり来たりしながらほしい本を探す行為は、贅沢きわまりない、時間の無駄遣いだという人もいる。でも私は、開いている限り、明日も書店に行く。子どものころ、幸せな時間をさずけてくれた西武大津店の“本屋さん”の記憶を携えて。
 何度でも言うよ。ありがとう、西武大津店。
(小説にもあるとおり、西武大津店は2020年8月31日に閉店した)

文/マルチーズ竹下


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