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3600円が打たせてくれた、優勝を決めるタイムリーヒット。

小学1年から大学4年、さらには社会人1年目まで19年間野球をやってきた。高校2年の秋まではピッチャー、2年の秋の大会で野手に転向し、それ以降は外野手として。


ピッチャーをやっていたときは、ボールが思いどおりにいかないと、なぜ高めに浮いてしまうんだろうか、変化球が(上に)抜けるのか、シュート回転するのだろうかと、思いどおりにいかないと原因究明すべく頭の中で考え、いろんな仮説をたて、ボールを投げては改善してのループ。同じように野手のときは、なんでゴロになってしまったのか、打ち上げてしまったのか、ピッチャーとタイミングが合わない感じになったのかと思考を巡らせたり。


無意図で自分の意思を考えなかった野球から、考える野球を始めたことで、うまくいかないことで苦しみ悩んだ時期もあったけれど、苦しいときにヒットが出たり、ずっと打てなかったチャンスの場面で打ててチームのみんなが喜んでくれたりして、苦しんだ過程も経験できて乗り越えられてよかったと思える場面に何度も出会えた。


社会人2年目のはじめまで硬式野球をしていたが、中高大、社会人と何度も肩を痛め、とうとう塁間(27mちょっと)さえ思うように投げれず、ボールを投げた次の日から3,4日は肩が重く、肘も時より痛むようになって、もう野球はムリかなと思い、5年前に1度やめた。かっこよく言うのであれば、自分で自分のピリオドを打った。

でも、2024年になってふと、年齢が若いうちにもう一度ピッチャーとして投げれるような体を作りたいと思い、ひそかに練習を再開。とはいえ、1週間に1回投げたと思えば、2週間の間隔が空く有り様。

そんなとき、ずっと誘いを受けていた取引先の方から、「試合があるので出てくれないか」とショートメッセージが。断り続けるのも申し訳ないし、でも5年のブランクがあるのに行ったところで戦力になるのだろうかという気持ちの狭間で揺れていたが、思いきって「行きます」と返信した。


そうと決まれば、練習。特にバッティングに不安しかなかったので、試合までの6日間のうち4日、バッティングセンターに通った。タイトルの3,600円は4日間でかけたお金だ。最初はタイミングがうまく取れずに連続空振り、あたったとしても引っかけたボテボテのゴロや軟式特有のボールがつぶれたようなポップフライばかり。一応、大学でも3度3割を打った経験があるバッターとは思えないざま。


だが、現役時代のようになぜこうなっているのか原因を考え、今度はこうしてみようとトライアンドエラーを重ねるうちに、3日目には少しずつこれはヒットかなというあたりが出始めた。(なんと血豆が出来た)


バッティングがよくなってきて気持ち上向き…!と思った矢先、かれこれ10年くらい続く左足親指の巻き爪がひどくなり、陥入爪という病気になってしまい、足巾の狭いスパイクや靴を履くと、痛くて走るのも歩くのも難しくなってしまった。そうすると、バッティングにも響いてきて、軸足の左足に力が入らず、体重が乗りきらずに前に流れていく悪循環。しかも、試合当日は9人ピッタリという連絡が入る。これは痛み止めを飲んでなんとかなるのか、、と未来の自分に願いを託すしかない状態。


当日。4時間後にもう一度服用してよいという痛み止めのお決まりを守るべく、朝起きてすぐに薬を飲む。会場に着くまではサンダル、そこから普段仕事で履く安全靴をアップ用の靴としてウォーミングアップ。この時点では、痛みはそこまで気にならない。

短ダッシュをしてみる。うん、7割くらいだが違和感なく走れる。足と同じくらい不安だったキャッチボールをなんなくクリア(そこそこ投げられた)し、スパイクに履き替えてみると、前よりは痛みが少なくなんとかなるかもしれないくらいに。痛み止めって服用するとしないで全然違うのか。


シートノック(試合前ノック)がないことが救いで、簡易的なノックをしたのちに、プレイボール。早朝8時。暑すぎない適温のグラウンドに、大人の礼が響く。


2番レフト。大学時代によく出ていた打順で、あまり期待しすぎないでくださいねという言葉を伝えながら、試合に臨む。

表の攻撃を守り終わり、裏の攻撃。打順が回ってくる。


無死一塁。自由に打っていいよという声に救われ、ベンチから見る限り早そうなピッチャーに対峙する。大学生の時からのユーティンは5年ぶりの打席でも体が覚えていた。

ストライクはどんどん打っていこうというスタンスで、3球目を打つ。感触は悪くなかったが、少し体が開いてしまい、センターフライに倒れる。凡退の打席の内容がその日の状態を表すという、野球の法則みたいなものでいうならば、今日は悪くない。


陥入爪と戦いながら、守備のカバーをしたり打球を処理したりしつつ、試合は0-0のまま、3回の攻撃。初回と同じくランナー一塁の場面で打席が回ってくる。

1打席目の反省を踏まえ、体の開きを我慢しようという意識で打席に入る。

すると、初球のインコース(体に近いところ)のストレートに体が反応する。ウレタン製のビヨンドバットのため感触はあまり覚えていないが、角度がついた打球。高校、大学時代に何度も経験した手応えのある打球の角度。打って走り始めた瞬間、これは外野手の頭を越えるという確信があった。

ライトフェンスに1バウンドで到達する、足が痛い自分でも悠々のタイムリースリーベース。これが結果的に、この試合の勝利打点だった。


久しぶりの野球、結果が出るか不安だった状況から、少しは助っ人として役立てたという安心感が生まれ、足の痛みに負けずに練習してきたことを心から良かったと思えた。その後、次のバッターの打球でホームに生還すると、ベンチでは歓迎の嵐。ああ、これを味わいたかったんだ。そう心から思っていた。


軟式は中学生以来ということで、守備で落球をしてしまったり、3打席目・4打席目は内野ゴロ(1つは内野安打、1つはエラーでの出塁)だったが、真剣にやっていた中でもすごく楽しかった。仕事では味わえない、野球だからこそ味わえる楽しさだった。


2-0で勝利。この試合はリーグの決勝戦だったことに後から気づき、助っ人初戦でチームを優勝に導いてくれたことにチームメイトから感謝の言葉を多くいただいた。いや、足(特に爪)がよく持ってくれました…と何度も伝えながら、こちらこそありがとうございましたと返答した。


とりあえず爪を治すことが最初にやるべきことだが、2024年は少なくとも助っ人生活を無理なく続けたいと、試合終了後すぐに決めた。それは結果が出ずとも、野球という面で自分らしさを表現し、結果を出すための過程を大事にすることがどんなシーンにもつながると核心を持てたから。


20年目の野球生活、プレイボール。

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