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生きていれば傷もできる

法事などで義兄の家に行くたびに、私のクルマを眺め、
「まだ……直していないな」
と苦笑される。
彼は定年退職するまで自動車関連企業の生産現場で働いていたため、気になるらしい……。

今乗っている車を買った7年前、車両保険には入らない、と言ったらディーラーの担当者が過剰に驚いてみせた。
「え? 新車ですよ! 自損事故で傷がついたりしたらどうするんですか?」
「走るのに支障が無ければ気にしません」
「え? でも……双方責任がある交通事故では、それぞれ自分の車両保険で修理する、というケースは多いですよ。走行に支障をきたす損傷もあり得ます」
「その場合は自費で直すし、高過ぎるなら、手放すなり廃車にして、クルマに乗ること自体をしばらく辞めます ── 自分の不注意に対するいい罰になる」
「自費で? 高いですよ」
「いや、車両保険自体、十分高いですよ。対人・対物・搭乗者保険で十分です。車両保険って、そのセットよりさらに高いですもんね」

さて、この車を買って3か月後、駐車場でバックした時にガリガリ、という「拘束感」があり、あわてて再前進したけれど、後部ドアにかなりの「凹み」ができてしまった。相手方のブロックは無傷だった。
「うーむ。さっそくやってしまったか」

「……あらあら」
家に帰ると妻が《左頬のエクボ》を見て気の毒そうに言った。
ちなみにこの女は、私がしでかしたことの80%ぐらいを、この『……あらあら』で処理する。
(残り20%は『この人物と私は何の関りもありません』態度で処理)
「どうするの? ……ディーラーに持って行くの?」
「行くわけないだろ」
意地でも直すか!
「いやあ、良かったよ。この《向こう傷》のおかげで、
イチ これでもう多少の傷は気にしなくなるし、
この事故を戒めとして、以前より注意するようになる」
と強がってみる。
(①と②は矛盾しているようだが、ま、気にしない)

アメリカ中西部の田舎町に住んでいる頃、ボロボロのクルマをよく見かけた。
最初に借りた巨大なレンタカーはフロントガラスに『弾痕』があったし、フロントガラス自体が無いクルマすら走っていた。

走るのに何の支障もないちょっとした傷でも神経質に修理する日本人が多いのは、クルマを(『道具』としてだけでなく)『擬人化』してかわいがっているのかと思っていた。
しかし、白いボディーカラーが多いのは、下取りに出すときの査定価格が高いからだ、と聞いて、
「そうか! むしろ『資産』と考えているから資産価値を保持しようとこまめに直すんだ!」
と合点がいった。

でも、保険って、必ず『保険会社』が儲かるようにできている。
(昨今の「何歳になっても入れる老人向け死亡保険」の怒涛CMなど、不安に付け込むひどい商売だ)
それが『保険会社+修理会社』共同体になれば、さらに多くの利益を生み出すような仕掛けを考える連中も出てくるだろう。

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『Big Motor』案件に関わる報道を見ながら、そんなことを思った。

転ばないように気を付けることは重要だが、不注意でできた傷(骨折した中指は、まだ完全に曲がらない)とも折り合いをつけていかねばならない。

もちろん、今回のように他者が利益を求めて傷付ける行為は、民事だけでなく、刑事事件として糾弾されねばならない。
(詐欺罪はもちろん、器物損壊罪として問題になっていないのはどうしてだろう? ── 警察が介入する案件だと思う)

別の見方をすれば、
「車両保険に入っているから安心」
「保険で元通りにしたい」
というマインドに付け込んだ事件でもある。

生きていれば傷もできる。
元通りにならないこともある。

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