見出し画像

再勉生活! 手を挙げるまで

勤めていた企業で「海外留学プログラム」ができたのは、新卒で入った会社生活も、既に7年が経過していた年でした。

その頃はバブル景気の真っただ中で、各企業は優秀な新卒学生を採用しようと人材獲得競争が過熱し、大手はどこも、
《ウチの会社には海外留学制度があるよ》
を学生への誘い文句のひとつとしていました。
私が勤めていた会社は数百人規模とはるかに小さかったのですが、大手と張り合って院卒の研究人材を採用しなければならず、遅ればせながら留学制度を開始しました ── いや、開始しようとしました。

ただ、海外に事業所があるわけでもなく、当然人事課に海外勤務などのノウハウもなく、やや無謀だったかもしれません(でも、この種の無謀さ、私は好きです)。

人事課がアナウンスした候補者選考には、三つ条件がありました。

① 選考時点で32歳以下であること。
② 1次選考試験でTOEFL(旧制度試験)580点相当を取ること(その後、役員審議で候補者1-2名決定)。
③ 3年で米国一流大学の博士号を取得して戻り、会社に貢献すること。

私はこの時点で、ジャスト32歳でした。
人事課への応募書類を提出すると、上司は難色を示しました。
「キミはこれから成果を挙げてもらわなくてはいけない年齢だ。M君も応募している……彼ならいいけどな」

M君は私と同じ大学、同じ専攻を出た3歳若い後輩でした。
人事課への応募書類には上司が所見を書き込む欄もあり、3年間も外に出すわけですから、若い方を優先するのは企業の管理職として当然の判断だろう、と理解しました。
「ま、ダメモトで提出させてください」
この時、私の応募を阻止しなかった上司には、今でも感謝しています。

この続きは……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?