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梅と信長@名古屋城

「そろそろ梅だな……名古屋城の梅林に行ってみるかな」
「何言ってんの! 梅はとっくに盛り過ぎてるよ!」
「そうかなあ……」

ということで、数か月ぶりに登城してきました ── お供なしで。市内在住のジジイは¥100で入れます。

門を入ると、『おもてなし武将隊』と『忍者隊』の看板が出ています。

忍者隊の看板は……ごめんなさい、今回は会わなかったので、カット!

どれどれ、今日は……

お! 信長サンではないですか! 会えるといいな!

梅は盛りを過ぎているどころか、ほとんどはまだ蕾でした。

誰だ! とっくに…と言ったのは!

今日は風が冷たかったせいか、観光客は少なめで、でも半数ほどは外国からの人たちでした。
ほころびかけた梅の前ではアジア系ラブラブカップルが仲良く…はいいけれど、長時間自撮りやら何やら写真を撮りまくっていたので、なかなか人の写りこまない写真が撮れませんでしたね。

天守閣(耐震がらみでまだ入れない)の方に歩いて行くと、
お! 信長サンがいる!

せっかくなので写真を撮らせていただきました。

織田信長サンと踊舞(とうま)サン

歩きながら信長サンとお話しましたが、彼は名古屋以外からもお誘いがかかるとのことで、先週は札幌に出張、先月などはタイに行っていたとのこと。
「人気があるから忙しいですねえ。今日はラッキーでした。前回は清正サンと会いましたよ~」
などと、庶民にあるまじき軽口を叩いていると、
「ワシらはとお名いるからのう、ここは交代で務めておる」
(お!『十』を『じゅう』でなく『とお』と発音!)
そして、私に、
「どちらから参られた? ……ほう、では、歩いてこられたか、それは健康にもいいのう」
など、徹頭徹尾、武将言葉(?…たぶん)でした。

プロ意識の高い信長サンであーる、と感心した次第です。

天守閣(右)と本丸御殿(左)
いつもこの構図になっちゃうんだよなあ……
梅(左)と天守(右)
これがぎりぎり両方はいる構図
手前の一番日当たりのよい木は咲き始めている。

帰り道にもう一度、最初の梅林を見ましたが……やはりまだ蕾か……あたりまえ体操……。

今度は日本人一家が、白梅の木にひと枝だけ紅梅が咲きかけているフシギを巡り、長時間議論していた……じっと待っていてようやく撮りました。
咲き始めた『オオカンザクラ』
名古屋城に1本しかなく、城内で一番早く咲く桜だそうです。

ところで、信長サンの言われた『ワシらとお名』ですが、武将は6名、名古屋および名古屋城との関係が深い人を厳選しているようです。

やはり中心は信長サンです!(武将隊パンフレット)

その序列がはっきり出ているのが下の集合写真(武将隊パンフレット)です:

1番上に織田信長サン、
その下に豊臣秀吉サン(左)と徳川家康サン(右)、
その下に『槍の又左』こと前田利家サン、
その下に加藤清正サン(左)と前田慶次サン(右)

・信長サンは尾張生まれ、若くして名古屋城の前身・那古野なごの城主となっています。
秀吉サンは尾張中村(現在名古屋市中村区)の生まれ
家康サンは三河岡崎生まれですが、現在の名古屋城を築城した、ということで秀吉と同格扱い。
前田利家サンは荒子(現在名古屋市中川区)生まれで名古屋では非常に人気が高く、若い頃は血気盛んであると共に、かなりの傾奇かぶきで、三間半柄(約6m30cm)の長く派手な槍を持ち歩いていたそうです。
前田慶次(利益)サンは利家の甥で同じく荒子生まれ、漫画『花の慶次』でも知られる『天下御免の傾奇かぶき者』ですね。
清正サンは秀吉の縁者で同じ中村の生まれ。忠義一徹、勇猛果敢でやはり名古屋では人気があります。しかも、最高技術を要した名古屋城の天守台石垣は、この人が設計・施工管理責任者

この中では大名になった他の5人に対し、前田慶次の異質性が際立っています。これはやはり、名古屋という土地柄が『派手好き』であり、『天下御免の傾奇かぶき者』慶次人気が高いからでしょうね。

そして、名古屋で最も人気のある『傾奇かぶき者』といえば、もちろん、将軍吉宗の倹約命令にたびたび逆らったため藩主をクビになったこのヒト、徳川宗春サンです、ジャーン:

7代尾張藩主・徳川宗春です!
(名古屋城の堀の外、金シャチ横丁「宗春ゾーン」に立つ看板と金シャチ)

宗春公については、昨春の登城の際にしっかり書きました。
それにしても、この時はまだ、信長サンも傾奇かぶき者前田コンビもまだマスクしてたんだなあ……。

『徳川宗春を大河ドラマにしよまい』計画、順調に進んでいるんだろうか?

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