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過剰な愛

サラリーマン時代に実験用装置の購入などで、納入業者と打ち合わせをしている時、こんな話をよく聞いた:
「ウチの業務用車はA社製の**なんです。A自動車の技術部に装置を納入するのはもちろん何の問題もないのですが、B自動車と取引しようとすると、門に近い駐車場には停めさせてもらえないんですよ。B社製でない限り、かなり離れた駐車場に停めて歩いていかなきゃならないんです。C社はそんなことありませんが、嫌味は言われますね……。余裕のあるところは複数メーカーの業務用車を持っていて、使い分けているみたいですが……」

この話を思い出したのは、昨日、友人と飲んでいて、ビールの銘柄の話題になった時のこと:
「ウチの会社は電器メーカーなんだけど、どういうわけだか、Kビールを退職した人が顧問として入ってきたんだ。その人と一度飲みましょう、ということになったんだけど、俺の行きつけの店にはS社のビールしか置いていない。で、事前にマスターに頼んで、その日だけK社のビールを用意してもらったよ」

── これを『過剰な忖度』と思う人は多いかもしれない。
私も半分ぐらい、そう思う。でも、そうした世界も知っている。
父は建設会社で最後は営業だったため、こうしたことにはとても気を使っていた。Kビールが属する旧財閥系Mグループの企業から仕事をもらう時には必ずKビールを用意しなきゃならない、と言っていた。

「……そうだよなあ」
そうした世界を熟知している別の友人は肯いた。
「ビール会社の営業は、飲み屋を一軒一軒回り、何度も足を運んで、拝むように頼み込んで頼み込んで、銘柄を自社製に替えてもらったりするんだよなあ……替えてもらった後は、その店に何度か行って ── もちろん経費なんだけど、そのビールをガンガン飲んだりして ── その苦労を全社員が知ってるからなあ……」

── もちろんライバル会社も同じで、油断すると、また元の銘柄に戻ったりするため、『オセロゲーム』と呼ばれているそうだ。

ある住宅メーカーの創業社長M氏が、自動車メーカーの会長T氏と歓談する機会があった。
T氏はM氏の社用車がライバル社のものであることに目を留め、歓談後に自社の製品を勧めた。M氏は、そうですねえ、などと相槌を打ちながら聞き流していたが、翌日、
「T会長の指示で参りました」
とディーラーのトップセールスがM氏を訪ねて来たという。
── M氏は回顧録の中で、このエピソードを『美談』として記している。

製造メーカー、特に最終製品メーカーにはこの手の『美談』が必ずある。
だから、組織の隅々にまで、
『ひとりひとりがセールスマン』
という考えが行き渡っている。

いや、そうかもしれない。
……でもさ、Kビールを退職して電器メーカーに入社した人 ── あなた、もうその肩から「K社」という荷物を下ろして、いろんなビールを味わってみればいいじゃないの。

── 人生のすべてを捧げたわけじゃないのだから。

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