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脳内で混ぜる食事

朝食は久しぶりにアツアツご飯に具だくさん味噌汁でした。
カブ入りなのが意外性⤴。
子供の頃、母がつくった味噌汁は地元の赤だし系で、コクがあるけど辛かった。

「卵ご飯にするでしょ? 好きなだけよそって、出汁だし醤油と醤油はテーブルに出ているからね」
「いや……」いつものことですが、
「オレは何もかけないよ ── 脳内で味噌汁と混ぜるから」

血圧対策で自宅での食事は塩分少なめ。ソースや醤油の類は必要最小限にしている。
家ではそれでいいけれど、例えば旅に出た時に出される和朝食は、味噌汁、干物、漬物など、辛めなので、卵ご飯には何もかけないし、納豆も一緒に付いている出汁だし醤油を加えることはない。

「それじゃ、味、しないんじゃないの?」
怪訝そうに尋ねられると、いつも答える。
「大丈夫、脳内で味噌汁(or 焼き魚 or 塩分を含むもの whatever!)と混ぜているから」
つまり、『舌』だけでなく、『想像世界』で塩分の濃い食品と薄い食品を混ぜ、味わっているのです。

「そんなバカな! そんなことできるわけないだろ!」
あなたはそう言うかもしれない。
でも実は、私だけではありません。
── 日本人の多くが既にこのワザを実行しています。

20代のトルコ人女性を工学系研究科博士課程の大学院生として指導していたことがあります。
彼女は当初、一般食堂で多くの日本人と一緒に定食を食べていました。おかずをテーブルに持っていき、おひつからあたたかいご飯を自分で取る方式です。
しかし、ある時点で、
「もう我慢できない! 味がまったくないご飯を、どうしてあなたたちは食べていられるのですか?」
と爆発し、自分で準備した弁当に替えた。

「……いや、だって、味のついたおかずと交互に食べるんだから、問題ないじゃないか」
反論したが無駄だった。
「トルコにはこんなご飯、ありません! 調理されたお米には常に味がついています!」
そういえば、アメリカ人と和食を取っている時に、白いメシにソースとか醤油をいきなりドバドバかけて食べ始めるのに驚いたことが何度もある。

つまり、日本風の和食の食べ方 ── 味付けしていない白米と味のついたおかずを交互に口に入れる方式 ── に慣れていない連中から見れば、
「信じられない! 味のまったくないモノを食べて、脳内で味を付けているのか?」
── と既に『謎の人類』扱いされているのだ!

まあ、しかし、思うのである。
── 脳内で食事を混ぜることができる人間の方が、想像力が発達しているのではないだろうか?
つまり、我々の方が《進化》しているのだ。

だから、さらに《進化》を続ければ、
── どんな貧しい食事を口に入れても、脳内で素晴らしいご馳走に変換することができるのではないだろうか?


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