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終わらない対話




心の内にあるものを明らかにすれば、
明らかになったものがあなたを救うであろう。
心の内になるものを明らかにしなければ、
明らかにしなかったものがあなたを滅ぼすかもしれない
    ――――トマスの福音書(グノーシス派の資料)


▼▼▼考えるタイプと考えないタイプ▼▼▼


僕は「考える人」だ。
世の中には、考えるタイプの人と、
考えないタイプの人がいる。

前者には陰キャと言われる人が多く、
後者には陽キャと言われる人が多い。

「考えないタイプ」のほうが、
大概において、人生はうまく行く。

深く考えすぎて良いことは正直、あまりない。
適度に考えすぎないことによって
人は「与えられたルールで勝つ」ことができる。

「なぜ手を使ってはいけないんだろう」と考えていたら、
良いサッカー選手にはなれないし、
「なぜ商品を売らなければならないのだろう」と考えていたら、
良いセールスマンにはなれない。
「なぜテレビに出たいと思わないといけないのか」と考える芸人は、
テレビの人気者にはなれないし、
「そもそも学校というシステムとは」と考えている人は、
スクールカーストの上位にのし上がれない。

まずは深く考えず、
社会が設定した所与の条件を受け入れる。
ルールを呑み込む。
そのうえで、そのルールで勝つことに脳のリソースを投入する。
そういう人が競争社会での勝者になれるし、
学校の人気者になれるし、
出世競争で勝てるし、
ビジネスの世界で結果を出せるのだ。

考えすぎる人、というのは、
うだつの上がらない人なのだ。

「書生肌」という言葉はもはや死語だが、
この言葉から金持ちを想像する人はいないだろう。

靴下にはいつも穴が空いていて、
部屋にはカビが生えていて、
ヒゲが整っていなくて、
もじゃもじゃの髪の毛からはふけが出ている。
金や成功とは無縁の存在、
それが書生肌であり、「考える人」なのだ。

他にもある。
これは「考えるタイプの人」には共感していただけると思うが、
考える人はよくモノを忘れる。
なぜなら考え事をしているから。
考える人はよく電車を乗り過ごす。
なぜなら人生の意味について考えていたから。
考える人は大切な書類をなくす。
なぜなら世界のなりたちについて疑問に思っていたから。
考える人はよくズボンのファスナーが開いている。
「人類はなぜ同じ過ちを繰り返すのか」
について考えるのに忙しいから。

「霞を食っては生きてはいけないんだぞ」
とか、常識人から言われがちである。
そして考える。
「本当に霞を食っては生きてはいけないな~。
 そもそも太古の昔から人はなぜ『食べる』のだろう」
と考えていたら、また電車を乗り過ごしている。
しかも網棚にカバンごと忘れている。

完全に、ポンコツである。

しかし、と僕は思う。
考えるタイプに生まれついた以上、
この性質を変えられないことを僕は知った。
ならば、この性質を最大限に楽しみ、
なおかつ世の中の役に立てることに使ってやろうじゃないか、と。

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