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よにでし読書会 5月31日開催 解説①

 今月の書籍:『ガンディーの真実』 
 開催日:2024年5月31日金曜日 20:00~22:00




ガンディーの真実


著者:間永次郎(はざま・えいじろう)
出版年:2023年
出版社:ちくま新書

リンク:

https://amzn.asia/d/eRU12Gs


▼▼▼解説▼▼▼


さて。今月の読書会です。
通常は第4週金曜日開催ですが、
今月はその日に私がどうしても都合がつかず、
例外的に第5週の金曜日(31日)に開催となりますので、
参加ご希望の方は今からご予定しておいてくださいますと嬉しいです。

今回も何を取り扱うか迷いました。
読書会は本の選考が一番悩みますね。
主催してみて分かったことですが。
とにかく、「手に入る」ことが第一条件になってきます。
なので電子書籍化されているかどうかは重要ですし、
お金をまったく使わないという条件になると、
版権の切れた「青空文庫」とかに手を出すかというのも悩んだし。
高額な本はやはり扱うのは無理だろうし。

いろいろ悩んだ結果、
新書およびKindleで手に入る、
去年出版の『ガンディーの真実』にしました。

これはすごく面白くて、
いつかビブリオバトルプレミアムとかで取り上げよっかなー、
通常放送もいいかなーと思ってたんだけど、
いやいや、語り合いたい、むしろ、
と思って5月の読書会で取り上げることとしました。

それでは解説に入ります。


▼▼▼臆病よりは暴力のほうが良い▼▼▼


→P16~18 
〈冒頭で述べたとおり、私たちは非暴力という言葉を語るときに、どうしても字義通りの「暴力を用いないこと」や「力によらない方法」といった意味を真っ先に連想してしまう。このようなイメージを持つことが、ガンディーの思想と運動の本質を理解することを妨げてしまうのである。
 たとえば、自らの非暴力思想の意味を説明した最も有名な記事の一つである「剣の教義」(1920年)において、ガンディーは次のように述べている。

 「もし臆病か暴力のどちらかしか選択肢がないならば、私は疑いなく暴力を選ぶよう助言するでしょう。……私はインドが臆病な姿になって不名誉を被るのをおとなしく見るぐらいならば、名誉を守るために武器を取るように勧めます」

 また、ガンディー自身が刊行する週刊誌の一つである『神の民(ハリジャン)』(1946年2月10日号)に掲載された記事の中でも、次のようにガンディーが語ったことが記録されている。

 「最後に彼(ガンディー)は警告した。もし誰かがある人のところにやってきて、非暴力の誓いを交わしたために婦人たちの名誉を守れない(暴徒から護ることができない)と訴えるならば、容赦してはいけません。非暴力は決して臆病者の盾に用いられるべきではありません。それは勇者の武器です。そのような残虐行為をなすすべもなく傍観するよりは暴力を用いて討ち死にした方が良いでしょう」

 これらの言葉は、私たちに少なからぬ困惑を呼ぶ。ガンディーは生涯の中で、幾度となく、自らの「非暴力」の意味を無抵抗(厳密には「受動的抵抗(passive resistance)」)と混同されそうになったとき、非暴力は「臆病」と異なることをはっきりと断言した。〉


、、、ガンディーといえば「非暴力」、
ということぐらいはわりと広く知られています。
しかし、この「非暴力」という言葉が、
ガンディーの思想の理解をむしろ拒んできた、
と著者は言います。

「非暴力」は断じて臆病とは違う。
権利を踏みにじられて泣き寝入ることとは違う。
強い者の横暴を我慢して耐えることとは違う。

構造的な暴力や差別がそこにあり、
抑圧する者と抑圧される者がいて、
あなたが「抑圧される者の友」として行動したいと思ったら、
3つの選択肢がある。

1.暴力による抵抗
2.非暴力による抵抗
3.抵抗しない

ガンディーは言うのです。
最も臆病な者が3を選ぶ。
3を選ぶぐらいなら1を選べ。
耐えるのが一番良くない。
それは抑圧者に加担することと同じだから。
あなたが「非暴力による抵抗」という、
最高の勇気を要する手段を選べないなら、
むしろ暴力的にでも抵抗した方が良い、と。


▼▼▼真実にしがみつくこと▼▼▼


→P22~23 
〈ガンディーは40代後半からインドで政治活動を開始する前に、23歳から44歳までの21年間にわたって南アフリカに滞在していたが、この地において、生涯最初の集団的不服従運動(1906~1914年)を行った。これはイギリス人とオランダ系移民(ボーア人)の白人統治下にあった南アフリカに住む在留インド人を対象とした有色人種差別法の撤廃を求める抗議運動であった。換言すれば、ガンディーは非暴力という言葉を使用する前に、少なくとも8年間の「非暴力」不服従運動を行っていたのであった。

 それでは、非暴力という語が使用される以前の「非暴力」運動は、ガンディーにとって何と呼ばれていたのだろうか。それははっきりとした名前を持っていた。それは「サティヤーグラハ」である。この言葉は、サンスクリット語由来の言葉(「サッティヤ」と「アーグラハ」の結合語)で作られたガンディーの造語であるが、字義的に「真実(サティヤ)にしがみつくこと(アーグラハ)」を意味する。つまり、先ほどの塩の行進でも見られたように、天地がひっくり返ろうとも、自らが「真実」だと思う信念に決して妥協を許さないという断固たる意思・実践が、その語の意味するところなのであった。

 この「サッティヤーグラハ」という名称は、南アフリカ滞在記以降のすべてのガンディーの非暴力運動、さらには彼の公私を跨ぐ人生の全活動の本質を示す概念としても使用されたのであった。そして、ガンディーはサッティヤーグラハ=真実にしがみつくことは「必然的に(精神的な)力を生み出す」と説明している。ゆえに、サッティヤーグラハは「真実の力」や「魂の力」とも言われた。つまり、非暴力に対する「(あらゆる)力によらない方法」という辞書的な定義は、非暴力の語源や系譜を考慮しても間違っているのである。


、、、サッティヤーグラハ
というのはガンディーの造語で、
真理を表すサティアと、
しがみつくを表すアーグラハを合わせた言葉です。

ガンディーにとって「非暴力」とは、
サッティヤーグラハにほかならず、
それは真実にあくまでしがみつくことで、
魂の力を引き出すことを意味する。

辞書的には非暴力は「力によらない方法」と説明されるが、
ガンディーはむしろ「力による方法」を採用した。
その「力」が、弾薬や武器ではなく、
「真実にあくまでこだわることで内的に湧き上がる力」である、
という点が他と違っていたのです。

2008年に4か月インドに滞在した際、
私はデリーのガンディー記念館を訪れました。
あのときの経験は、後々考えると、
私の人生を変えたと思っています。
殺害されたときに来ていた、
血のついたサリーを見たとき、
彼が生涯読み続けた聖書の実物を見たとき、
あの丸メガネの本物を見たとき、
私の人生は「サッティヤーグラハ」の方向へ、
実は導かれていたのかもしれません。
まったく実践できていないときも多々ありますが。

加えてそれは私だけでなく、
後のマーティン・ルーサー・キングや、
ネルソン・マンデラなど、
少数者の人権のために非暴力の抵抗をした、
20世紀の英雄たちも同じでした。
後々本書でも言及されるように、
彼らは共通してガンディーを心の師と仰いでいます。


▼▼▼差別以上にガンディーに衝撃を与えたもの▼▼▼


→P42 
〈ガンディーは自分がこの二週間に体験したことを、同僚のインド人たちに伝えた。これを聞いて彼らが驚いたのは、ガンディーが語った人種差別体験ではなく、ガンディーが人種差別体験を問題視していることだった。当時の南アフリカで、有色人種差別は至極当たり前の慣習だったのであり、彼らにしてみれば、「何を今さら」ということだった。まさに、ガンディーを人種差別体験以上に驚かせたのは、明らかに不正に思える社会的敢行を、被差別者たちであるインド人自身が自明のものとして甘受している姿だった。〉


、、、ガンディーは南アフリカへの留学中、
アパルトヘイト政策により、
「白人のほうが有色人種より上」という社会で、
差別と偏見と暴力に遭います。
電車で「そこは白人の席だ、譲れ」と、
自分が買った席を譲るよう要求されたので断ると、
殴る蹴るの暴行を加えられたのです。

それを仲間のインド人に憤慨して伝えます。
「こんなことがまかり通って良いのか!」

同僚たちは驚きます。
そのような差別がまかり通っていることではなく、
差別に対して憤慨するガンディーに対してです。

後にガンディーは、
差別自体にも衝撃を受けたが、
「差別を所与のものとして受け入れていて、
 抵抗するということが頭の端にも上らない有色人種の姿」
にこそ最も衝撃を受けた、と書いています。

フェミニズムにもBLM(ブラックライヴスマター)にも、
沖縄の基地問題にも被差別部落問題にも、
性的マイノリティの人権にも、
在日朝鮮人問題にも同じ事が言えるでしょう。

最も怖いのは、
被差別者が、差別を肯定する論理に乗っかる、
という倒錯した状態です。

福音書に悪霊を追い出したイエスを、
救済された側であるはずの村人たちが追い出す、
という不可解な記事があります。

これに対して神学者のリチャード・ホースレーは、
被抑圧者が、抑圧者に抵抗するという面倒を嫌い、
抵抗の思想を語るイエスと関わり合いを避けたからだ、
という解釈をしています。

山口希生先生の、
『「神の王国」を求めて』から引用します。

→P109~111 
 この汚れた霊につかれた男の悲惨な状況は、個人的な悲劇であるのを超えて、彼の属している共同体全体の悲劇をも象徴的に体現している、とホースレーは示唆します。つまり、「汚れた霊」に取り憑かれていた男の姿には、「ローマ帝国」という悪霊に取りつかれていた彼の村が二重写しになっている、ということです。ローマによって課される重税と、反抗する者に容赦なく下される暴力とが、村の人々から生きる気力や正気を奪っていきました。その村の病理が集中的に表れたのが、この可愛そうな男性だったのです。

 〈しかし、イエスが汚れた霊に「この人から出て行け」と命じるとすぐに、イエスはその霊の名を引き出すことができた。「レギオン」である。ギリシア語を話す聴衆は直ちに、このラテン語の言葉の意味するものを理解しただろう。それはローマの軍の軍団名であり、彼らはこの軍団が情け容赦なく彼らの村を襲い、近隣の村々の家々を焼き払い、人々を奴隷にし、また殺戮し、彼らの持ち物を略奪したことを最近経験していただろう〉(Richard Horsley "Hearing the Whole Story; The Politics of Plot in Mark"s Gospel" 2001, 140頁 山口希生訳)

 この「レギオン」がローマの軍隊を暗示するものなら、彼らが豚の中に入り、「湖で溺れ死んだ」という下りは、旧約聖書の有名な出来事を思い起こさせます。それはエジプトを脱出したモーセ一行を追って、海で溺れ死んだファラオの軍隊のことです(出エジプト14:26~28、15:4~5)。このような視点からイエスの悪霊払いを見るとき、それは単に個人の癒しや救いに留まらない、ローマ帝国からの奴隷解放のメッセージを読み取ることも可能です。しかし、このイエスに対する人々の反応はさらに意味深です。

 「すると人々は、イエスに、この地方から出ていって欲しいと懇願した(マルコ5:17)」

 イエスの行動にこのような政治的意味合いが暗示されていたのだとしても、人々はそれを決して歓迎しなかったことは注目されます。人々にとっては、解放の希望よりもローマとの衝突から生じるであろう厄介ごとへの不安の方が、重くのしかかっていたのかもしれません。

『「神の王国」を求めて』


、、、差別や抑圧や搾取よりもさらに怖いのは、
差別や抑圧や搾取が当たり前になり、
差別されている側がむしろ、
差別する体制の論理に加担するという倒錯です。
ガンディーはこのあと、
インドの解放運動でも同じことを経験します。
イギリス政府以上にインド人自身が、
「イギリスの支配のほうが良い」と抵抗を示すのです。

ガンディーとイエスの身に同じ事が起きた、
というのは興味深いことではないでしょうか。


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