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空間と平等について

大きなタイトルをつけました。
日本にいるときから、空間のOpennessについて考えていました。誰に対して開かれているか、あるいは閉ざされているか。あるいはその線を引いているのは誰か。
タイ留学をはじめて2ヶ月が経ちます。言語化が難しい内容ですが、長々と書いていきます。

ご飯のこと

生きる機能が外に出ていることの大切さを、しばしば感じる。

外食がとてつもなく安い。このことが、タイにおける都市構造を成り立たせている、といっても過言でないように思います。
ローカル向けの店舗であれば、1食30~80バーツ(120~320円)ほどが相場。一人暮らしなら自炊するより安いので、僕の住むアパートにはキッチンすらありません。

Chacheong Saoのマーケット。駐車場と市場が大きな屋根の下に並ぶ。

広い平面に人が集まって、わいわいと話しながらご飯を食べる、あるいは市場で買い物をする。知らない人にも躊躇なく話しかけるタイ人のパーソナリティーも相まって、マーケットや飲食街は、広がりのある、しかし強固な人間のつながりを生む場となっています。

チャトゥチャックマーケット。広大なこの敷地も、週末しか開かれない。

そんな場が仮設的であることも大きな特徴です。僕の通うタマサート大学内のあるマーケットは、月・木のみ開かれ、それ以外は駐車場として使われます。更に面白いのが、そのマーケットは近くのマーケットと連動しており、一方が開く日にはもう一方が閉まっていて、その場合後者はテーブルを提供する場として機能します。
Weekend Marketもタイのあちこちで見られ、そのTemporaryさが、人を惹きつける要因であるとともに、空間の柔軟性を担保しています。

THE COMMONS

オープンではあるものの、植栽や高さの操作で思ったより閉じて感じる。

それと対照的に思えたのが、Thong Lo、東京でいう原宿か表参道的な場所に立つこの建築です。日本にいるときに写真で見て、豊かな半屋外空間や東南アジアらしい大スケールの空間構成を期待していました。

半屋外空間を仕切る建具は、シンプルながら手の込んだデザインがなされている。

第一印象は、日本的だな、という感覚でした。コンクリートの仕上げはキレイで、ディテールもかなり手が込んでいる。なにより、断面を細かく操作したり、廊下を設けて平面構成を細分化したりと、空間をスケールダウンする操作が印象的でした。建築としての精度は間違いなく高く、想像を超えるほどでした。

階段状の複雑な断面構成

しかし、食の自由がかなり限定されている。
大きな平面がなく、大人数で集まることが不可能な構成。そして大階段の看板には、飲食・出店禁止の文字。中に入っているレストランには200バーツを超える(ローカル価格の3~4倍かそれ以上)ものも多く、明らかに外国人向けの施設。デザインが洗練されすぎていることも、それを助長しているように思えてしまいました。

小さなスケールの通路に行儀よく机や椅子が並ぶ様子からもまた、日本らしさを感じた。

最上階のスペースには、"Let's grow this community together"の文字。communityとは本来閉じたものだよな、と再認識する一方で、その閉じ方が思い描いていたものと大きく違い、勝手に悩んでしまいました。日本でしばしば感じた、開いているようで開かれていない建築と似ているな、と。

空間が開かれている、というより開いた空間が見える、という印象。

建築家として食べていくためには、どうしても富裕層を相手にとる方が効率がいい。そうでないと、仕事として成立しない。

自分の目指す建築は、世界のたった数%の富裕層のものではなく、もっとOrdinaryなものでありたい。本当の意味でのCOMMONSを考えたい。
そんな自分の思想が、半ばきれい事に近い理想論にも思えてきて、どこか辛い建築でした。

Yaowarat

歩行者天国と化し、人であふれかえるヤワラート。

2月10日。バンコクは、中国の正月(陰暦、旧正月)を迎えます。
Yaowaratは言わずと知れた中華街ですが、日本の中華街とは少し雰囲気が違います。タイと中国、あるいはヨーロッパまでその他様々な国の文化がごちゃ混ぜになった場所です。タイの、異文化混交を象徴する場所のひとつのように感じます。

写真を撮る行為は、しばしば過度にメッセージ性を持ってしまうことがあるな、と感じます。

踊り狂う獅子舞や、地獄のような人混みに紛れ、物乞いのおばさんがカップを掲げて座り、白杖をついたおじさんが音楽を流しながら寄付を募る。
こういう光景は、なにも旧正月に限らずバンコクではありふれたものですが、このような人々とゼロ距離に、たくさんの裕福な観光客が通り過ぎている様が、かなりショッキングでした。

旧正月というイベントが、貧富の差に関わらず(ときにインフォーマルに)その場所に滞在する機会を与え、その意味で都市空間をOpenにしている。おそらく物乞いのおばさんにとってこのチャンスは大きなもので、その意味で大切な行事なのかもしれない。
一方で、上で書いたような光景は、正直僕にはかなり暴力的に感じられて、同時にそれを自覚したとき、ああ、俺はその裕福な側の一粒にすぎない、と思いました。

さまざまな人間があまりにオープンに近接する世界。

焼きそばを食べながら歩いていると、屋台の間の空き地で、頭を下げて物乞いをするおばあさんと目が合いました。
俺が渡す20バーツで、この人は明日の昼飯を食えるかもしれない。清潔な服を買えるかもしれない。
ただ一方で、自分がお金をあげた瞬間に、パワーバランスが明確に顕在化してしまう。自分なんかが、与える側に立ってしまう。まだ働いてもいないただの学生が、文字通り必死で今を生きる人より、一時的にでも優位に立ってしまう。そのことが嫌で、それまでお金を渡したことはありませんでした。

迷った末に、彼女に20バーツを渡しました。おばあさんが深く頭を下げてくれる。
その後に残ったのは、優越感でも達成感でもなく、言葉にできない後ろめたい感情でした。歩きながら何人もの物乞いに出会い、この人たち全員にあげないと意味がないんじゃないか、とか思ったり、お金を渡した自分にどこか偽善者かのような嫌悪感を抱いたり。

こういう状況に対して自分に何ができるか。何をすべきか。まだその答えは分からないし、一生考え続けても正解なんか見つからない気がします。ただ、一生考え続けることに価値がある、というのは正しい気がします。

お寺について

Wat(タイ語で寺院)が、単なる宗教施設以上の意義を持っている、ということを感じる瞬間がしばしばあります。

普段は静かな境内が、週末は人であふれかえる。

Wat Tha Phra。バンコク市街の周縁部に位置するこの寺院は、壮大なスケールを誇る立派なものです。そんな荘厳な空間の周りに、週末夕方になると市場が展開されます。人が祈りを捧げる神聖な空間から壁一枚隔てて、生鮮食品や安すぎる非正規スマホが売られている。

都市における寺院は貴重な広いヴォイド(空地)で、そこを生きる行為がテンポラリーに埋めていく。聖と俗が混在する、というか、それら全てひっくるめた「生」が感じられて、しばし呆気にとられていました。
寺院というのは、神聖なものである以上に、生活の基盤を提供する場なのだ、と感じることがよくあります。

寺院は、都市のなかにぽっかりと空いた穴のように感じられることがある。

もうひとつ。修士論文の調査でとあるお寺にお邪魔したとき、親切な住職さんがグーグル翻訳を使って案内してくれました。話を聞いていると、小学生くらいの女の子が走ってきて、ニコニコしながら僕と住職の方を見ている。話が一段落すると、住職が彼女に20バーツ紙幣を手渡し、なにか声を掛けました。

住職さんは、教育費の不十分な彼女に毎日20バーツをあげているそうです。貧富の差とか、教育形態の問題とか、考えるべきことは色々ありますが、それよりも先ず、寺がコミュニティにおいて生活インフラの役割を果たしていること、そして、こうやって仏教の思想は身を以て根づいていくんだ、と肌で感じました。

平等について

EMQUARTIERのグラウンドレベル。モール側の地面レベルを上げることで、前面の歩道と車道は隠され、向かいの系列店の広告のみ見えるように視線が綿密にコントロールされている。

バンコクに来てよく感じるのが、様々なものがミックスであること。
スラムと大開発。タイ文化と華人文化、欧米向けの観光文化。信仰と商売。そういったものが、開かれた平面の上で混在しているのをよく見かけます。
そしてそういう場の多くが仮設的、もしくは一過性をはらむことも印象的です。

同時に、ジェントリフィケーションの進行で、その混在が許されなくなっている、というのもバンコクの実情です。地価の高騰やフォーマル化によって、そもそもその場所に住めない人が大勢出てくる。
インフォーマルな居住や経済は不確かなものですが、同時にそれがフォーマルに固定された瞬間、柔軟さによって担保されていたいくつもの生活が失われる危うさも肌で感じます。

インフォーマルな交通の規制も厳しくなっており、政府が援助と排除双方を使い分けることによって、居場所を確保する人と完全に失う人が明確に分かれてきている。

また、Openであることが必ずしも「良い」といえないのもまた考えさせられるところです。Yaowaratのように、Opennessは貧しい人に機会を与える一方、格差やパワーバランス、それに対する偏見や無関心を露わにする。

だから、空間と平等ということを考えたとき、Opennessと平等は対極にあるのかもしれない、とすら思います。
空間は、The Commonsのように使う人間を限定してはじめて平等に近づく。むしろ逆に、利用者を限られた範囲の人間に限定するために空間をつくる、といってもいいかもしれません。
そんな歪な平等空間と、格差を露見させるOpenness。どちらも空間のあり方のひとつであり、どちらも危うさを抱えています。

空間はいかにして平等になり得るか。あるいは、そもそも平等を是とするべきなのか。この問いをずっと考えることになりそうです。

バンコクの朝は早い。

長くなりましたが、最後に。
写真や文章というメディアは、今回書いたようなセンシティブな内容に対して特に、それを美化したり、過度にジャーナリスティックになってしまう危険があるな、と感じます。

たくさんの人間がいて、その一人ひとりが各々の正しさを持って世界を見ている。そしてそれを他人が解釈して伝えることは限りなく難しいし、ときに危うい事です。
今回僕が書いた内容はその意味で、誰かにとって全く正しくないかもしれないし、すごく危うい事をしているようにも思います。

けれど同時に、それでも口を閉ざさず書き記さなければ、とも思います。バンコクでは、日本では隠蔽されて見えない問題がたくさん顕在化されている。それを伝えずにいることもまた、同じくらい危うい事だと思って、この文章を書いています。


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