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LAND-SCAPEの作法

無鄰菴

無鄰菴 庭園

庭、そしてそれを囲む木々。その後ろに佇む東山を、山県有朋は「主山」と名付けた。それは他者としての山を引き込む「借景」とは異なり、東山こそを愛で、そこからの流れとしての庭園をつくる、というような思想である。依頼された七代目小川治兵衛、通称「植治」は苦心のあげく疎水の水を引き込み、植栽と石、そして水の流れの見事な工夫でそれを達成した。

無鄰菴 座敷

その建築空間は限りなく透明である。観光のためにかつてあった障子は取り外され、細い木格子のガラス窓1枚が内外を隔てる。建具の交線が柱となり、カドの存在感が消える。セットバックした土台や開口の大きな上階、緩勾配の1階庇が、2階建てであるにも関わらず外観にも透明感を与えている。

無鄰菴 外観

その建築は、立ち方としてもまた透明である。東山に向かって最も長い対角線が取れるように母屋が配置されている。庭園の視点場の一つとして建築は存在し、それ単体としては存在しない。大きな構成原理が建築の外にあり、人間の居方が透明の中に浮き上がる。

無鄰菴 庭園

ある庭師の方から、庭園の作法の中に、「低く抑える」もしくは「透かす」というものがあると伺った。庭木も石も、重心が地表に置かれ、あるいは半透明なフィルターとして存在する。その思想が、深い庇と透明性という形で建築にも反映される。庭屋一如という言葉があるが、それは庭と建築を一体としてつくる、というよりも、庭の言語で建築を構成する、と言えるのかもしれない。

参考:https://murin-an.jp/

滴滴庵

滴滴庵 外観

車を降りて斜面を眺めると、一瞬でここに立つべきだったことが理解できる。図面上では造作的、ともすれば過多に思えた窓の組立ても、あるべき場所に再構成されたように思える。

滴滴庵 調度

内部に入ると、その光りと温もりに驚かされる。冷たいはずの12月の床は、朝の光を吸って暖かい。外に意識を向けさせる開口と大梁、そこに居場所を与えるような木目が見事にかみ合っており、狭いはずの空間に苦しさを感じない。農家スケールの構築と小屋スケールの空間、手中のスケールの建具が、心地よいアンバランスを生んでいて不思議と心地よい空間ができあがっている。

滴滴庵 屋根より

屋根に上って集落を眺めると、斜面に立つ建築というのが異質な言語であることに気づく。棚田で平面が捻出された集落では、普通はそこに立てる理由がないのだろう。
そこで、彼らにそう「無理」をさせた理由が柿の木とナツミカンであることに思い至る。

ススキ畑

棚田ができる。ススキが育つ。母屋を建てる。厩舎ができる。ナツミカンが植わる。庵が立つ。通路が整う。
そうやって点から点へと等価に拡散するように、関係性の網目が半ば無限に拡がってゆく。それは人間の営為の歴史の縮図であり、生きるという行為なのだろう。

ナツミカン

この建築に対し、「道具ではあるが住宅ではない」という論評を目にした。道具、という言葉は言い得て妙に感じる。それは一般の道具というより、人間の生きる手がかりとしての「道・具」である。
しかし「住宅でない」というのはこの小さな庵を単体で評価した時に与えられる感想である。しかし訪れてみると、その評価の手法にはにはあまり意味がないように感じる。全ての営為が等価に存在する、その関係性のごく一部を切り取っても、「住宅」としての性質が見えてこないことは、自明である。


Ayutthaya

ワット・ヤイチャイモンコン

ワット・ヤイチャイモンコンのパゴダは圧巻である。72mのその仏塔は、島のように寺院を取り囲む神社、そしてその向こうのチャオプラヤ川に対して屹立する。

パゴダへ続く階段

川との微妙な関係性のもとに、地形との連環の中に組み立てられた水辺集落とは対照的に、寺院は独立した世界として存在する。幾重もの壁が張られ、きわめて幾何学的に伽藍が構成される。

パゴダ

ビルマとの戦勝記念で造られたこの仏塔は、象徴としての意味を強く持つ。その際、大平原にそびえる巨大な円錐というのは、莫大な大地に対するランドスケープのひとつの作法なのかもしれない。起伏という制約が乏しく、或いは造成して水との関係性を断ち切ることで獲得した平面のうえで、象徴的な仏塔が孤立した点として存在する。互いに関係性を持たないかのように立つそれら寺院群は、チャオプラヤの流れという更に巨大な一つの流れの中で見たときに、初めて連環を得るのかもしれない。

ワット・プラ・シーサンペット

もうひとつ衝撃的な寺院が、ワット・プラ・シーサンペット。3基の巨大な仏塔と、崩壊した長堂が広大な敷地に配置される。
遺跡の魅力は、言語化した瞬間に失われるような気がする。屋根を失い、内外の概念を失った空間に抱く違和。人間の手では創り得ない時間の重量。むき出しになった素材の質量。

長堂

なぜ遺跡というものに、感動してしまうのだろう。浅はかにも、「東洋のパルテノンがここにあった」、そう思ってしまった。

ワット・プラ・マハータート

崩れ、文字通り「放置された」のちに「発見」されたアユタヤの寺院群。その歴史の起点は、「発見」された瞬間に置かれるのかもしれない。
ワット・プラ・マハータート。菩提樹の絡まる仏像で有名なこの寺院は、植物が支配していく世界観が見えて面白い。その世界観を演出するため、逆説的に植物の管理・選別がよく練られている、そんな計画性も同時に感じた。

ワット・マヘーヨン

ワット・マヘーヨン。屋根を失い、遺跡と化したこの場所で、仏像に布地が掛けられ、その前で多くの地元の人びとが祈りを捧げる。近くには寺院学校があり、その生徒や教師が花を手向けていた。

ワット・マヘーヨン アプローチ

遺跡であって、しかし廃墟ではない。形を失っても、なお意味として生き続ける。アユタヤで最も印象的だったのは、観光客のそう多くないこの寺院、生きた遺跡かもしれない。
さて、「保存」とは何を目指すべきだろうか。


Rangsit

飛行機より

パトゥムターニーの空は広い。広漠な大地に、規則正しく区画された農地と宅地が広がる様子を、飛行機の窓から眺める。
そこに隆起はない。人間の生きる手がかりをつくるのは大河であり、運河であり、道路である。

タマサート大学ランシットキャンパス ホール

タマサート大学ランシットキャンパスのホールは圧巻である。地面がめくれ上がって隆起した丘の様な建築の上部は生徒の休む屋上庭園、下部は威厳ある大空間。大きなメインエントランスというよりも、規模に対してはやや細い流線のスロープが多方向から内部へと導く。屋上庭園も、ジグザグの通路の中にポケットが数多く用意される。RCシェルの一部の仕上げはウッドチップ。巨大で流動的な空間構成とヒューマンスケールにスケールを落とす操作、その双方向の工夫が、使われ方の成功を生んでいる。

池とガーデン

しかし、もっと大きなスケールで見たとき、区画の外を越える関係性は見られない。池を挟んで対岸には建物がポツポツと建ち並び、反対の池の向こうは野ざらしの駐車場。建築が大きすぎるが故に、独立して存在している。日本的な思考でいえば、総合的なランドスケープはあまり成功していないように思えてしまう。

アイコンサイアム 内部空間

タイで訪れたいくつかの庭園で、ランドスケープが成功していないと感じることがしばしばある。それは「低く抑える」そして地形を活かすことによって生まれる「見え隠れ」の概念、視線の微細なコントロール、そういったものがないように感じてしまうからだろう。

アイコンサイアム 上層部

しかしアユタヤを訪れた後見返すと、寺院と同様、平面に対する空間言語なのかもしれない、とも思う。点が点として存在し、その関係性を取り持つのは川や運河、その巨大なスケールによってである。
巨大ショッピングモールも、閉じた世界の中でラグジュアリーが追求される。確立された吹き抜けと立体構成の手法、曲面の操作など、工夫された様々なアミューズメントも外部からは把握されず、巨大な一つのアイコンとして立ち上がる。

斜面に「恵まれた」日本と広大な平地の広がる南部タイ。ランドスケープに対する異なる態度、作法があることが、なんとなく感じられてきたところである。

ワット・クディ・ターオ

写真:全て著者 / 2024.01.04


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