”いつ死んでも良い”と毎日考える
ここ最近毎日、「私っていつ死ぬんだろう」と考える。特に理由はない。自死したいわけでもない。
ただ、自分がいつ死ぬのか?が気になる。
死に方は選びたい矛盾
人は死にゆく時、色々な原因が関係すると思う。
病気かもしれない、自然災害かもしれない。はたまた、交通事故?
それはその時が来ないとわからない。
私は「いつ死んでも良い」と考える割に、『痛くない』『苦しくない』『辛くない』方法で、この世を去ることができれば良いなあ、と我儘な考えを持っている。
できれば、眠るようにこの世を去りたい。
楽しみを持つ矛盾
「いつ死んでも良い」という割に、「明日はこれしよう」とか「〇〇に△△をしよう」とか考える。これも矛盾か。
別にいつ死んでも良いのなら、特別楽しみを持つ必要もないはず。
でも生きている限り、人は働かねばならず、そうなると何か楽しみを欲するのもまた、人間の本質なのかもしれない。
いつ死んでも良いように生きて損はなさそう
色々な矛盾は自分の中にあって、その葛藤もあるわけで。
ただ、わかるのは死に方は選べないけど、生き方は選べる。
必死になって起業して、人生謳歌するぞ!って気力は私にはないけれど、最後死ぬ前の薄っすらとした記憶の中で、「やりたいことやったな〜悔いないな〜」と思える毎日を過ごしておきたい。
ある程度の貯金をしながら、少しずつ親孝行もしながら、いつ死ぬかわからない自分の人生に対して微笑みながら温かい愛情を注いでいきたい。
今、「あなた明日死ぬよ」って言われたら、コンビニへ走って大好きなお菓子を食べて、愛犬を抱きしめながら明日を迎えたい。
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