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すごい2024年2月を振り返る

気がつくと2024年も3月に入っていた。
私にとって、シュリ一家にとって、2024年2月はとんでもない月になった。
備忘録として、書き記しておく。


初めて目の前で人の急死を見る

訪問看護をしていた時から人の死に触れることは多かった。
ただそれは、基本的に人としての”自然の死”。窒息や溺死、外傷による死は経験がなかった。

施設看護師へ転職して3ヶ月目のある日。
私は初めて人の急死を目の前で見た。1番辛い、息の引き取り方だと思った。
誰かが悪い、と決めつけることのできない原因。みんなで悲しみ、振り返りも行った。

人として自然の死を迎えられることがいかに幸せなことなのか、身をもって経験した。そして自分の看護師としての無力さも、改めて認識することができた。


母の誕生日に父の勤める会社が全焼

これは以前にも記録したことがあるが、母の誕生日当日に父の勤める会社が全焼した。

「明日は母、誕生日だね。ハンバーグ作るからね。おやすみ」とみんなが眠りについた。そして母の誕生日を迎えて約30分後、父の勤める会社が燃えていると連絡が来た。
隣の工場への放火が原因で、そのあたり一体の工場が全焼した。

家のローンもまだ10年残っている父母は、当日生きた心地がしなかっただろう。顔色もテンションも、もちろん最底辺だった。
私も同じく。

今は少しずつ前向きに(社長である大叔母も含め)、これから立ち直していければ良いのではないかと思う。


祖母、原因不明の低体温

そして、2月29日のうるう日、祖母が原因不明の低体温で入院。
特別、うるう日だから入院となったのではなく、前日から低体温であることは施設から連絡があった。

電気毛布を何枚使用しても体温が上がらないのだという。
救急搬送で病院へ行ったが、結局原因はわからず。点滴を24時間行う治療を受けているとのこと。

もうあとは祖母の生命力を祈るしか術はなさそうば状況。


極め付けは母の交通事故

もう十分じゃない?とも感じてしまうが、フィナーレには母の交通事故を挙げよう。

それは祖母の入院対応をした帰り道に起こったという。母は1人で病院へ行ってくれて、帰り道も1人。もうすぐ家に着く、というところで事故に遭ってしまった。
バイクとの衝突。「ぼーっとしてしまってた」と母。信号の色もはっきりと覚えていないと。

でも一つ明らかだったのは、バイクの方も赤信号で交差点へ侵入してきていたことらしい。だから、特におおごとにならずあとは保険屋さんに任せる段階だと。

何より、誰も怪我をしなかったことが幸いだ。


家族でご祈祷へ

そんなてんやわんやな2月だったので、今日3月3日の寅の日にご祈祷へ行ってきた。
思っていたよりも賑やかなご祈祷で、お寺だったから”お経-Live ver.-”みたいな雰囲気だったけど、やっぱりお坊さんのお経を聴くと体の中から悪いものが蒸発したような気分になれた。

特に母がネガティブ全開なので、今日を境に前向きになってくれることを祈る。どうかみんな安全・健康に過ごせる1年でありますように。

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