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【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第四章 4/岩井三四二

(第四章 ヴェルダンの吸血ポンプ) 

四 

 翌日、英彦はまたクーディエ中尉をヴォワザンV型機に乗せて飛び立った。
 昨日発見した四十二センチ砲に対しておこなわれた味方の砲撃が、成果をあげたかどうかを観測するためである。
 青空は見えているが雲は多い。雲量五、と英彦は見た。とくに東のほうには雲が多いが、雲底は二千メートル程度だ。風は北西微風。天気図を見ると近くに前線はなく、飛行に支障はない。
「よし、このまままっすぐ東だ」
 クーディエ中尉が前席から指図する。昨日、砲火をあびた対空砲陣地を迂回するために南に大回りしたのち、四十二センチ砲があった陣地に向かった。
 英彦は前方と上方の見張りをつづけている。今日は雲が多いだけに、見張りも緊張を強いられる。
「降下せよ。高度千メートル」
 クーディエ中尉が手で合図し、怒鳴る。いよいよ四十二センチ砲の陣地上空だ。
 機体の上空二百メートルほどのところでいくつも黒煙があがる。対空砲火だ。それを見つつ降下してゆく。前席のクーディエ中尉は、操縦席の横につけたカメラをじっとのぞき込んでいる。
「もっと下がれ。もっとだ」
 中尉の手振りにうながされ、さらに降下する。高度八百、七百……。
 前方にぱっと黒煙の花が咲く。対空砲火が近くなっている。高度五百まで下がった。今度は機関銃弾が飛んでくる。それも一丁や二丁の機関銃ではない。機体が射線にはさまれる。
 写真を撮り終えた中尉は、今度は爆撃のレバーに手をかける。少し右、という指示に、英彦は慎重にしたがう。
「投下!」
 中尉が叫び、レバーを操作した。爆弾が落ちてゆく。
「よし、上がれ」
 クーディエ中尉が怒鳴る。英彦は操縦桿を引いて機首を起こすと同時にスロットル・レバーを開き、背後の発動機を目いっぱいに回して急速上昇する。
 クーディエ中尉は体を半分、機体から乗り出して地上を見下ろし、砲撃と爆撃の成果を検分している。さらに何枚か写真を撮った。
 高度を二千八百にあげたころには、敵の陣地からも離れ、対空砲火も飛んでこなくなった。
「破壊は完全じゃない。さらに砲撃が必要だ」
 中尉が怒鳴る。四十二センチ砲は損害を受けてはいるが、補修がほどこされて生き返りつつあるという。
 ならば一刻も早く基地に帰って報告しなければならない。
 風は弱いが、それでも向かい風だけに、あせっても速度はあがらない。おまけに境界線近くの高射砲陣地を避けて飛んでいるので、大回りになっている。後方を気にしつつ、帰路を急ぐ。
 あいかわらず雲は多いが、いまは上方よりも下方が気になる。敵機が追ってくるなら、うしろ下方から迫ってくるはずだ。
 しばらく飛ぶと、やはり後方から黒い点が追ってきた。ぐんぐん近づいてくる。クーディエ中尉に知らせた。
「逃げ切れ。もうすぐムーズ川だ!」
 昨日とおなじ反応だ。もちろん無事に帰り着けるのなら、それがいいに決まっている。速度はゆるめず、前進をつづけた。
 だが敵機のほうが速い。このままでは追いつかれる。
「ムーズ川を越えたぞ」
 クーディエ中尉が笑顔で叫ぶ。しかし今日の敵は引き返す気配がない。平気で追ってくる。とうとう後方数百メートルまで迫られてしまった。
 クーディエ中尉は機関銃を点検し、銃把をにぎった。回れ、と手で指図する。旋回して、正面を向いて撃ち合おうというのだ。
 英彦は首をふった。
「もう遅すぎる。いまから旋回を始めたなら、横腹を敵の銃口にさらすことになる」
「じゃあ、どうするというんだ」
「ちょっとだまっててほしい」
 英彦は後方に注意を払いつつ、全速で飛んでいる。前方でクーディエ中尉がわめくが、耳に入らない。
 これから敵機と戦うと思うと、全身の血が沸騰する感じがした。
 迫ってくる敵機は単葉で一人乗り、操縦席の前に支柱をたて、主翼を支線で吊っている。フォッカーEⅢ型だ。操縦手は飛行帽に飛行眼鏡をかけているので、表情はわからない。
 英彦は操縦桿を手にしたまま、首をねじって後方を見ている。フォッカーの操縦手が目の前にある機関銃に手をかけるのが見えた。そして身を沈めた。照準器をのぞきこむためだろう。その距離、百メートル。
 とっさに英彦はスロットル・レバーを閉じた。速度をうんと落としたのだ。全速のままのフォッカーがみるみる迫ってきて、間合いがうんと詰まった。
 フォッカーの操縦手が白い歯を見せた。
 英彦はすかさず左に旋回し、さらに急降下した。ほとんど同時にフォッカーの機関銃が火を噴いた。
 機の右側を機関銃弾が通過してゆく。機体は回転しつつさらに降下する。機体が震えるのが感じられる。クーディエ中尉が「ふわっ、なんだなんだ」と騒ぐが、英彦は取りあわない。
 ほぼ失速状態となり、あわやきりもみをしつつ地上に落下、となる寸前にスロットル・レバーを全開にし、操縦桿を中立にした。すると推進力を得た機体は持ちなおし、水平飛行にもどった。ついで操縦桿を引き、上昇する。
「上だ、上。敵機が上に」
 英彦はクーディエ中尉の肩をたたき、上方を指さした。
 フォッカーが前上方を飛んでいる。
 急に速度を落として降下した英彦の機の上方を、減速できずに通りすぎていったのだ。
 中隊に配属後、先輩の操縦士に教えてもらった空中戦闘術のひとつである。
「そういう戦法なら先に言え! びっくりするだろうが!」
 クーディエ中尉はそう吐き捨てると機関銃をとりなおし、フォッカーを狙って撃った。
 フォッカーは左に旋回して逃れようとする。負けじと英彦も左に回る。視力のいい英彦にはフォッカーの操縦士の手さばきが見えるから、フォッカーがどちらへ動くかが事前にわかり、楽々と追従できた。
 そのあいだもクーディエ中尉は機関銃を撃ちつづけている。弾がフォッカーの尾翼のあたりに吸い込まれてゆく。ぱっと破片が散るのが見えた。
 フォッカーは旋回を終えると、降下しながらすばやく離れていった。ドイツ軍の支配領域のほうへ飛んでゆく。
 見ていると、フォッカーは左右にゆれていた。さっきの銃撃で尾翼が傷ついたか、操縦系統が破壊されたか、どちらかだろう。いまごろ操縦手は、なんとか味方の支配領域まで飛んでから不時着しようと、あせっているのではないか。
 とどめを刺したかったが、速度にまさるフォッカーに追いつけるものではない。
「基地に帰ろう。あちらだ。十時の方向」
 クーディエ中尉に言われて、英彦は操縦桿をかたむけた。気持ちは高揚していた。おなじ敵機との対戦でも、青島の時とは比べものにならないほど緊迫していたからだ。これこそまことの空中戦だ。
 着陸すると、昨日とおなじようにクーディエ中尉は司令部に駆けだし、英彦はメカニシアンと機体を点検した。尾翼にふたつ、右主翼に五つの穴があいていた。
「よくご無事で」
 と言われたが、偵察機が銃撃を受けるのはよくあることなので、その場はそれだけで終わった。
 さわぎが起きたのは、クーディエ中尉が「今日はフォッカーを撃墜したかもしれない」と申告したからだった。
 偵察爆撃機のヴォワザンV型機で追撃機(戦闘機)のフォッカーを撃墜したとなれば、馬がおおかみを蹴り殺したようなものだ。飛行中隊でも滅多にないことだった。
「あいつは度胸があるし、腕はもちろん、目がいいから敵の銃撃も寸前でかわせる。なかなか得がたいピロットだ」
 とクーディエ中尉が英彦を評していたと伝わってきた。出会いの時から考えれば、かなり出世したものだ。
 しかし撃墜の認定は厳密に行われることになっていて、他機の操縦者が証人になるか、あるいは味方の地上部隊の証明が必要になる。そのため今回は撃墜とは認定されなかったが、部隊の中でしばらく話題になり、英彦は仲間から一目置かれるようになった。

次話に続く)

【前回】

プロフィール
岩井三四二(いわい・みよじ)
1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」で第64回小説現代新人賞を受賞し、デビュー。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』、『絢爛たる奔流』、『天命』『室町もののけ草紙』『「タ」は夜明けの空を飛んだ』など著書多数。

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