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【コラム】今さらですが…… シェイクスピアってどんなお方?

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シェイクスピアの名前を聞いたことがない人は少ないと思いますが、
でも、いったいどんな人生を送ったお方か、ご存じですか?

シェイクスピアの正体は実はフランシス・ベーコン!?

 シェイクスピアは、1564年、ロンドンの北部の小さな町、ストラットフォード・アポン・エイヴォンで生まれました。たぶん、地元の学校に行ったのだと推測されています。しかし、「そんなたいした学もない田舎ものに、あのような傑作が書けただろうか?」と疑問を持つ人は、フロイト、マーク・トウェインなどの超有名知識人もふくめ、あとをたたず。
なにしろシェイクスピアが用いた語彙はおよそ3万語と言われることもあり、流麗かつ豊富。今の英語の基礎をつくったといわれる美しい韻律の詩や科白。歴史にも、貴族の生活にも精通しています。よほど頭脳明晰で高等教育を受けた貴族でなければ無理でしょう!? だいたい、蔵書の一冊、手紙の一通も残っていないし……というわけで、別人説は大人気。当時のイギリス屈指の知識人フランシス・ベーコン? 詩作と武勇の誉れ高かった第17代オックスフォード伯爵? 女性だったという説、はてはグループ執筆説まで。

18歳で8歳年上のアン・ハサウェイと結婚

 シェイクスピアは、18歳で、8歳年上のアン・ハサウェイと結婚しました。そして彼女は結婚6カ月後に出産。当時、父親のいない子どもを産むことはご法度なので、大急ぎで結婚!となったに違いありません。ハサウェイ家は地元の古い農家で、シェイクスピアの家から歩いて行ける距離。恋におちたシェイクスピアが通いつめ、ふたりは愛を誓いあった……と想像したいところです。
 それにしても、18歳で結婚というのは当時にしても早く、花嫁が年上というのも異例でした。さらに3年後の1585年には、男女の双子も誕生。シェイクスピアは21歳にして3児の父親になっていたのです。

空白の6年間

 ところが1587年9月から、シェイクスピアの記録はぷつりと途絶えます。次に記録があるのは、1593年、ロンドンでサウサンプトン伯爵へ捧げる詩集の著者として。この間、シェイクスピアはいったい何をしていたのか?
 様々な憶測がされていますが、彼はストラットフォードで公演していた劇団に加わり、妻や子供、両親、きょうだいを残して、ロンドンに行ったのでは? という説が有力です。当時、一代で出世の道を駆け上り町の有力者だった父親は、カトリックだったことが原因で仕事もできず没落。収入の道を絶たれた一家を支えるため、23歳のシェイクスピアは、ロンドンで一旗あげようと一念発起して旅立ったのか、もしくは、何もかも嫌になって発作的に出奔したのか⁉

意外としまり屋さんでした

 ロンドンで今をときめく劇作家となり、劇団の株主としてお金持ちにもなったシェイクスピア。作品をみると、スケールが大きくロマンチックで感情的でおしゃべりで……と無責任な想像がふくらんでしまう人物像ですが、意外としっかり、しまり屋さんでした。紳士階級になるために、紋章院に大枚をはたいて紋章を認可してもらい、故郷の家族に家を購入したあとも、不動産に投資。税金を滞納した訴訟の記録も残されています。
 1613年にグローブ座が火事で炎上したのち、本格的に引退して故郷へ。その3年後、1616年に亡くなりました。享年52歳。残された記録が少ないこともあって、彼の戯曲さながら、いくらでも解釈と想像が広がる人生です。


*参考文献 河合祥一郎『シェイクスピアの正体』(新潮文庫)『シェイクスピア 人生劇場の達人』(中公新書)


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