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【書評】寺地はるな『水を縫う』書評/やさしい水が流れるところ――評者:王谷晶(作家)

「男なのに」刺繍が好きな男子高校生の清澄(きよすみ)。「女なのに」かわいいものが苦手な姉の水青(みお)。「愛情豊かな母親」になれなかったさつ子。「まっとうな父親」になれなかった全と、その同居人の黒田。「いいお嫁さん」になるよう育てられた祖母の文枝――。

寺地はるなさん『水を縫う』は、世の中の<普通><当たり前>から弾かれ、痛みを抱え生きている彼らが、一歩前へ踏み出していく姿を描き出す、清々しい家族小説です。

『完璧じゃない、あたしたち』『どうせカラダが目当てでしょ』などの著者である作家の王谷晶さんが、今作の書評を執筆してくださいました。ぜひお読みください。(イラスト/生駒さちこ)

【書評】やさしい水が流れるところ 王谷 晶

「やさしい世界」というネットスラングがある。誰も悪人がいない話、仲が悪そうなのに平和に仲良くしているキャラクターの掛け合いなどに向けられる言葉で、いっとき流行った「ほっこり」にも近いが、もう少しアイロニーが含まれる(と思う。スラングの定義をするのは難しい……)。『水を縫う』を読んだとき、最初に頭に浮かんだのがこの「やさしい世界」だった。物語の主役は大阪に暮らす祖母・母・姉・弟で構成された松岡家。手芸が好きな男子高校生の清澄のエピソードから始まり、結婚を控えた姉・水青のウエディングドレス作りを縦軸に、章ごとにそれぞれの人物の思いと生活を綴っていく。

 共通しているのは、「普通ってなに?」となる瞬間だ。松岡家の面々はみな地味で堅実で、日々平穏に過ごしているしそれを願ってもいる。それでも、それぞれの胸の内にわずかに「普通」との相容れなさや、小さなやりきれなさを抱えている。普通の人とくくられてしまいがちな人の中にある、普通でなさ。マジョリティの中にもマイノリティ性があることを、軽妙な文章で丁寧に、丁寧にすくい上げている。実直な勤め人である水青の、自分を認めながら解放していくパートは特に胸に迫った。

 清澄と水青の父であり母・さつ子の元夫の全と、その同級生である黒田の、中年男二人の名前の付けられない関係もとてもいい。世の中、ラベルを貼ったりカテゴリ分けできるものばかりじゃないのを示している。当人たちにもはっきり分からない理由で一緒に居る二人を、周囲もいぶかりながら見守っているのがいい。正直に申し上げると、この二人にはちょっと萌えてしまった。

 しこうして、私は根がヒネきっているので、悪人がほぼ出てこない物語に「あまりにやさしすぎねえか」と思いながら読み進めたが、次第にこのやさしさが、生半可なやさしさではないことに気付く。これはやさしさに至るまでに深く怒り、戦い、傷ついてきた人が作り上げたやさしい世界だ。静かで穏やかでも、力強い。

 東日本大震災のときもそうだったけれど、世の中不穏になると、まがいもののやさしさや懐に悪意を隠したやさしさがあふれる。そういうものに疲れた心に、『水を縫う』はまじりっけのない清水のようにすうっと染み渡った。あとこれは同業者のカンですが、この本、たぶん売れる。今の時代のいろんな人の心に届く小説だと思う。

【評者プロフィール】おうたに・あきら ◆ '81年東京生まれ。著書に『完璧じゃない、あたしたち』『BL古典セレクション3 怪談 奇談』など。最新作は『どうせカラダが目当てでしょ』

紫原明子さんによる『水を縫う』書評も公開しております。ぜひこちらもお読みください。

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