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【書評】一筋縄ではいかない重層的かつカジュアルで現代的な翻案 ――マーガレット・アトウッドによる『テンペスト』の「語りなおし」  眞鍋惠子

『獄中シェイクスピア劇団』(マーガレット・アトウッド著 鴻巣友季子訳)の眞鍋惠子氏による書評が、「図書新聞」第3470(2020年11月07日) に掲載されました。「図書新聞」編集部の許可をいただきまして、書評全文を掲載いたします。

『テンペスト』、それはシェイクスピアの単著としての遺作であり、魔法と復讐そして赦しの物語。本書はシェイクスピアの語りなおしシリーズ日本語版第一弾の、マーガレット・アトウッドによる『テンペスト』の「語りなおし」だ。

 著者はカナダを代表する作家・詩人で、その作品は三十五か国以上で翻訳されている。アーサー・C・クラーク賞、ブッカー賞など多くを受賞し、一九八五年発表の『侍女の物語』は、世界中でベストセラーとなった。また二〇一九年、二度目のブッカー賞を受賞した続編『誓願』の邦訳がちょうどこの十月に出版される。

『テンペスト』が今回翻案として現れるのは二〇一三年のカナダ。舞台芸術祭の芸術監督だったフェリックスは部下の裏切りで職を追われ、すべてを失って世捨て人のような生活を送っていた。『テンペスト』の岩屋そっくりの掘立小屋で数年間を過ごし、二つのプロジェクトを生きる目的と決めた。ひとつは稽古に入る直前の失脚で中断された『テンペスト』の興行を成し遂げること。もうひとつは自分を陥れた部下たちに復讐することだ。フレッチャー矯正所という刑務所の更生プログラムのリテラシークラスで、素性を隠して演劇を教えていた彼に運命の女神が微笑む。隠遁生活十二年目にして格好の復讐のチャンスが訪れた。大臣に出世した裏切り者たちが刑務所の視察に来るのだ。その日に向けてのフェリックスの奮闘と皆で芝居を作っていく過程、後日譚が語られる。

 復讐の舞台として視察のとき上演される演目はもちろん『テンペスト』だ。語りなおしの本書の中で、受刑者たちが科白を現代風にリライトした『テンペスト』が上演されるという入れ子構造になっている。フェリックスは『テンペスト』の主人公プロスペローと重なるが、さらにオリジナルの作者シェイクスピアもプロスペローに重ねて見ることもでき、重層的になっている。

 フェリックスの指導の下、個性豊かな受刑者たちが時にぶつかり合いながらも力を合わせて舞台を作りあげるドラマが楽しい。劇団のメンバーは天才ハッカーや信用詐欺師、会社の金を横領した会計士、押し込み強盗、酒やドラッグの密売人と犯罪歴もさまざまで、インド系、ベトナム系、ネイティブインディアンにホワイトアングロサクソンと、人種も多種多様だ。しかもシェイクスピア演劇との取り合わせ、一筋縄ではいかない。しかしそれぞれが自分の強みとなる能力を活かしつつ役を演じ、裏方で働き、芝居を作りあげていく。フェリックスが巧みに受刑者たちや警備員を操る様子は、『テンペスト』の魔術師プロスペローが魔法を使うようだ。また原作者シェイクスピアが自分の戯曲の登場人物を自在に操る姿にも重なる。

 第五部の「その後についてのプレゼンテーション」も興味深い。更生プログラムの最終課題として、公演後、演じたキャラクターの「劇が幕を閉じた後の人生」について創作し発表を行う。受刑者たちが展開する登場人物たちの未来は、奇想天外だが原作『テンペスト』の考察にもつながる。アトウッドが本作中最も重要視した部分だという。

 本文や会話、章の名前の中にシェイクスピアのさまざまな作品の文言が注釈付きでちりばめられていて、シェイクスピアや『テンペスト』をよく知る人はきっと、それらの作品を再読したくなるだろう。しかしシェイクスピアの知識が無くても十分におもしろい。二〇一三年のカナダが舞台、しかも登場人物の多くが囚人なので、その語り口もいたってカジュアルで現代的だ。訳者が十五通りにも訳し分けた登場人物の口調によって、会話が生き生きと繰り広げられる。また獄中劇はミュージカル仕立てで、「バン、バン、キャ、キャリバン」などのラップナンバーやダンスが挿入され、映像作品を想像しながら読むこともできよう。

 フェリックスが作ったクラスの決まり事に、なかなかチャーミングなルールがある。クラス内で使える悪態は劇作に書かれている罵倒句のみ、というものだ。例えば「ガマや油虫やコウモリにたかられろ」「この土あくたが」「毒吐くならず者め」といった具合である。
 フェリックスはどのような「イロコだらけのすばらし」い仕掛けで裏切り者たちを「ててなし級にフルボッコ」したのか? 『テンペスト』のプロスペローの最後の科白は「どうかこの身を自由に」だった。果たしてフェリックスは自由になれるのか? 三歳のとき病気で亡くなって以来十二年間、フェリックスの傍らにいた娘ミランダはどうなるのか? 本を開いて、フレッチャー矯正所劇団の芝居を是非、観に来てほしい。「赤死病レベルでやばい」くらいおもしろいこと、請け合いだ。
(翻訳者/ライター)

書影

語りなおしシェイクスピア 1 テンペスト 獄中シェイクスピア劇団
マーガレット・アトウッド著/鴻巣友季子訳
定価:本体2,700円+税
ISBN:978-4-08-773507-9 

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