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裏切者は罪人の寄生虫だ。-サルトル-

ここ数日インフルにかかっていて、頭はせっせと動いているのに、体がついていけていなかった。私の最大の弱点は、休む時にしっかりと休めないところだと思う。数ヶ月鬱状態が続いて、休むことも必要なのだと学んだはずなのにどうしても焦ってしまう。

あまりにも多くのことが一度に起こったから、まだ心の整理が全然ついていない。まだまだ全然、苦しい。こうやって書いていてもまだ目に水溜りができてしまうくらいには。

でも、やっぱり自分のことを大切にしてあげるんだと決めたから。私の陰口を言っていたり、私のことを嫌う人のために心を使いたくはない。完璧な人間ではないし、もちろん良いとは言えない部分もたくさん私の中にはある。でもそれが悪い環境に毒されて悪い部分の私だけが顔を出して、それを私という人間として評価されているなんてまっぴらごめんだ。

私のことなんて何も知らないじゃないか。私がこれまでどれだけの地獄と孤独に戦ってきたかなんて知らないじゃないか。私がどれだけ本気で世界を幸せに、人を幸せにしたいと願っているかなんて知らないじゃないか。頼んでもいないのに勝手に私を判断するな。私は法を犯したわけじゃない。ただ人間としての、本来の私の性質を失うだけの、人間性を壊すだけの要素がそこにはあって、私という人間を壊してしまった。

仕事のミスを正当化するわけではない。だって私が壊れていくことを、働き続けることを容認したのも私自身だから。休むことを許さなかったのは、環境の問題ではなく、私自身だったから。だからと言って私のことを他人が悪くいうことは全くもって別問題だ。でも、少なくとも今は毎日誰かの悪口を聞くこともないし、誰かの圧に常に追い込まれているわけでもないし、勉強する時間を持てているから過去にさえ捉われなければ実は幸せな環境なのだと思う。

ただ、とても孤独に感じるし最近は日本に帰りたいなあということばかり考えている。帰る場所があるのも、幸せなことなのだけれど。



自分ではない自分、ということに関していうと私はシリアル・キラー(連続殺人鬼)やミステリー、サイコパス、犯罪心理学系の映画やドキュメンタリーを見るのが大好きなのだが、それは毒を以て毒を制するという心理に近いのかもしれない。世界にはたくさん理解に苦しむような思考を持っている人がいる。でも、どうしてそうなったのかを理解すれば案外納得がいくことが多い。

彼らの場合は法を犯してしまっているから、擁護するつもりはないが、その環境が周りにあったのならその殺人鬼は「私だったかもしれない」という潜在的な恐怖を感じる。私が今までに見てきた本や作品を通じてわかることは、そういった異質な性癖や考えをもつ犯罪者の98%以上が幼少期に体験したトラウマやPTSDからきている。

その時にいつも脳裏をよぎるのが、もし違う環境で生まれ育っていたらこの人は今どういう人になっていただろうか?ということ。そして前述したように、「私だったかもしれない」ということ。

ここは私の吐口みたいなものだから、いつも書き出しと終わりに一貫性がない。もし苦し紛れの言い訳をするのであれば、環境は人を簡単に変えてしまうということ。でも本気を出せばその環境も変えることができるということ。どうしても、時間はかかってしまうけれど。





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