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矢ガモのように過ごしている日々

母の日を母と過ごせなかったことがあるのは何回目だろう。
初めては多分大学生の頃、留学をして日本にもいなかったからその国から手紙を書いて送った覚えがある。

今日は仕事をしていたけれど、朝から花を抱えている人を多く見かけた。旦那さんが奥さんに買っている人もいれば、息子がお母さんに買っている人もいたし、孫がおばあちゃんと過ごしているのもみた。心が温かくなる日だ。


とにかく日々を忙しくして落ち込む時間を作らないようにしているおかげか、最近は幾分普通の生活を送れるようになった。それでも傷が癒えたわけじゃない。矢が背中に刺さったまま自然に返されたカモのように毎日を生きている。

何かの拍子でそれが抜かれて、いつかもっと楽になるのかもしれないけれど、その抜かれる瞬間すらも今は怖い。だからもう少し一人で忙しくする時間が、今の私には必要なんだと思う。

昨日彼を待っている間、いつも道でチェスをしているホームレスのおじさんを見つけて、ちょうどお店で余ったクロワッサンがあったから挨拶代わりに渡した。そして私がダメになりそうだと思った時、そのおじさんの存在を思い出してまた頑張ろうと思えたんだということを伝えた。そのおじさんはいつでも楽しそうにチェスをする人や通りすがりの人に話しかけていて、どうしてこんな状況でそんなに明るくいられるのだろうと彼を見かけるたびにそう考えていた。

そうしたらおじさんが「こんな道の脇にいつも座っている自分が誰かの役に立つなんて思ってもみなかった。ありがとう。あなたは天使のように美しいから、心無い人のせいで傷つかなくていい。」と言ってくれた。そして「でもどうしても辛いなら、泣きなさい。とにかく泣いて心に溜まっている悲しいことを流してしまいなさい。」と。

そのおじさんとは30分近く話したと思う。彼が近くに着いたという連絡をもらって、おじさんとお別れをするとき、とても意味深なことを聞かれた。

「君はこの世界に存在しているのかい?この地球に住んでいるのかい?」と。

私はなぜだかすぐに答えることができなかった。自分の存在は確かにここにあるのに、急に長い長い夢の中にいるのではないかという錯覚がした。でも何か答えなきゃいけないと思って、

「そう思いたい。少なくとも今はここに地に足をつけていることは確かだよ。」と答えた。

もしかしたら彼は私のことを本当に天使だと思ってしまったのかもしれない。ここに存在しているのか、なんて今までの人生で一度も聞かれたことがない。そうだとはっきり言えるはずなのに、わからなかった。冗談にしてはあまりにも真剣な顔で聞かれたから、それが冗談かどうかも結局わからなかった。ただ、すごく不思議な体験をしたなと思う。

最近、本当に気をつけていなければ気がつかない不思議なことがたくさんあって、きっと何かこれから起こるのかもしれないという感覚がある。何かわからないけれど、何かが私の身に起こりそうな予感がする。

来週はスクリーンタイムが3時間程度になるように、もっと確かなものに目を向けていきたい。


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