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生(せい)が何であるかは生きてみないとわからない

昨日久しぶりに彼に会った。私の気分が良くない時に連絡したり、会ったりすると彼もそのネガティブな状態に巻き込んでしまうから連絡を避けていた。それでもどんなに連絡を返さなくても常に何気ないメッセージを送り続けてくれる彼はすごいなと思う。しつこいでもなく、純粋に私の生存確認をしてくれているんだなと感じる。

うつは、人に感染する。というか、すべての習慣や感情は感染する。だからこそ日々の習慣はすごく大切だし、環境が人を作る。

昨日はほんの少しだけ「普通」に過ごせそうな感覚があって、一緒に夕飯を食べようと彼が誘ってくれたので家で映画を見ながら私の好きなトルコ料理を頼んでゆっくりと過ごした。

彼のためを思って避けていたけれど、やっぱり私には彼の存在が本当に必要だったんだと気がついた。安心する場所がここにあると気が付かせてくれる人。目が覚めて横に信頼できる人がいるなんて、なんて平和なんだろうと。

毎日毎日本当に打ちひしがれて、人生もうダメだと何度もここ数日思っていたのにやっぱり悪くないかもってほんの一瞬でも思える人生は本当に生き続けてみないと何なのか、何が起こるのか全くの未知。

また一から自分を奮い立たせて、自分のためになることをとにかくやり続ける。偏見を持たずにいろいろなものを学ぶ。そして何があっても自分の信念を曲げない。どんなに悪いことをされたり、悪いことが起きても私は良い人であり続ける努力をする。悪に汚染されたらまた同じことが繰り返されて、また自分を見失ってしまう。今でさえ、まだその汚染で傷ついた部分が残っていて完全に取り戻せていないのだから。

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