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人の背景を見ることができたら良いのに

昨日、心に錘を抱えたまま前職のレストランのシェフと夕飯を食べに行った。
あまりにも気持ちが沈んでいたから、キャンセルしてしまおうかとも思ったけど、こういう時こそ人と会って話をすることが大事だとわかっていたから約束通り行った。

初めて行く通りで、すごく新鮮だったし同じトロントでも少しダウンタウンのはずれに行くだけでこんなにも雰囲気が違うんだなーと久しぶりに感情を取り戻した気がした。

レストランの予約の時間まで少し時間があったから、道路の向かいにある小さなバーでサワービールを飲んだ。チェリーコークのような風味のビールで、酸っぱいものがとにかく好きな私には刺さった。

シェフは年齢を教えてくれたことはないけれど(人間少しくらい秘密があった方が面白いとのこと)、彼の人生もまたいろいろなことが過去にあって、今だって毎日が大変で、それでも生きている。最近の私のうつ状態だったり、過去の話を少しした。良い人には良いことしか起こらないというのは幻想で、良い人にも悪いことは起こるし、結局これはすべて試練なんだと言ってくれた。でも、私はその試練を乗り越えようと努力することに疲れてしまって、力尽きた。

本当に今、どうやって毎日を生きたら良いのかわからないと言ったら、「今こうやって話している間にも生きているじゃないか。これで良いんだよ。」と。

きちんと生きることは意識していないとできないけれど、ただ生きるのは意識しなくてもできる。変なの。

みんな「普通」に生きているように見えるけど、それぞれすべての人の背景は「普通」じゃない日もあった。私の人生は普通じゃない日が多すぎるけど。でも、他の人から見たら私もまた、その「普通」の人生を生きているように見えるんだろうな。

レストランの予約の時間になり、スペイン料理を食べた。やっぱりシェフだから、料理選びへの情熱が火傷しそうなほどすごかった。料理の注文はすべて任せて、私はワインを選ぶことにした。でも、ワインはいつもイタリア産ワインかカナダ産ワインかカリフォルニア産ワインを飲むことが多く、スペイン産ワインは自分ではなかなか選ばないので店員さんに手伝ってもらった。

料理はどれも食べたことのないものばかりで、食べる順番で口に広がる香りや味が変わるんだと教えてくれて、本当に久しぶりに「食事を楽しむ」ことができた。そうだ、ご飯って美味しいんだった。と当たり前のことを忘れていた自分に少し悲しくなったけれど。

ビール2缶とワインをボトルで2本も開けてしまったから、流石に今日は少し二日酔いだけど、やっぱり行ってよかった。また明日にはまたしんどくなってしまうかもしれない。でも、少なくとも昨日は良い日だった。

生き方を忘れても、今日もなんとか生きている。

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