#085 ソーシャル・ビジネスとクリティカル・ビジネスの違い

NOTEの記事ではちょとちょこと「クリティカル・ビジネス」というテーマに触れています。初出はこちらの記事でしたね。

社会批判・社会運動としての側面を強く持つビジネスが「クリティカル・ビジネス」ということになるわけですが、読者の中には「山口のいうクリティカル・ビジネスというのは要するにソーシャル・ビジネスのことじゃないか。なぜ今さら、混乱するような新しい用語を持ち出してくるんだ」と思われた人もいるかも知れません。

これは非常に真っ当な戸惑いだと思いますが、両者には非常に重要な違いがあるということをここで説明しておきたいと思います。

ソーシャル・ビジネスもクリティカル・ビジネスも、なんらかの社会的な課題の解決を目指すという点では同じです。では何が違うか?

ここは必ずしも厳密な分類ではないのですが、従来のソーシャル・ビジネスが、すでに社会的にコンセンサスの取れた問題に対して取り組むのとは対照的に、クリティカル・ビジネスでは、現時点(事業開始時点)では必ずしもコンセンサスの取れていない問題について「これは大きな問題ではないか?」という問題提起を行うことからスタートしている、という点が大きな違いだということになります。

そして、この点にこそ、私が「社会運動とビジネスの交わるところ」という副題をこの論考に常に付する理由があります。社会運動は、ある時点において必ずしも多数派の問題意識になっていない事象について、「これは問題だと思う」と提起することからスタートします。そもそもからして、なぜ「運動」が必要なのかというと、まずは何をさておいても「これは問題だ」と考える仲間を増やすことが必要だからです。

ソーシャル・ビジネスが、すでにコンセンサスの取れた社会問題、多くの人が問題だと思っている社会問題に対して取り組むのに対して、クリティカル・ビジネスは、必ずしも社会的なコンセンサスが明確でない問題を取り上げ、それを独自のやり方で解決することを提案します。コンセンサスの取れていない問題を取り上げる・・・つまり「誰も賛同してくれないかもしれない」という恐怖に突き破ってイニシアチブを取らなければならない、という点で、両者を比較すれば、クリティカル・ビジネスにははるかに強い精神的強度が求められることは容易に想像できるでしょう。

しかしこれは見過ごせないポイントです。というのも「クリティカル・ビジネス」があくまで「ビジネス」である限り、そこには何らかの先行者利得=ファースト・ムーバー・アドバンテージが生まれる可能性があるからです。逆にいえば、社会的にコンセンサスの取れた問題に対処することを考えている限り、一歩先んじて動くことは原理的にできません。日本がクリティカル・ビジネスの実践において、大きな遅れをグローバルの趨勢に対してとっているのは、ここに大きな原因があると思っています。

問題でなかったものが問題になる?

さて、ここからが重要なポイントです。それまで多くの人にとって問題ではなかったものが、問題になるというのはどういうことなのでしょうか?問題の定義に立ち返って考えてみましょう。

問題とは「あるべき姿と現状のギャップ」のことです。ですから「それまで問題でなかったものが問題になる」というのは、現状を「そのようなものだろう」とこれまで受け入れていた人が、ある日、目の前の現状とは異なる「あるべき姿」がイメージできるようになったとき、初めて生まれるということなのです。

そういう意味で、クリティカル・ビジネスが立ち上がる過程において、市場や関係者のあいだに、必ずなんらかの価値観・世界観の転換が起きることになります。ここにこそ、私が、クリティカル・ビジネスが求められると考える大きな理由があります。

私たちが現在作り上げている社会には大きな問題があります。これらの問題を是正あるいは解決しようということを考えたとき、一つのアプローチとして、私たちがこれまで肯定してきた欲望を抑制するということが考えられます。

しかし、すでに明らかになっているようにこのアプローチはなかなか厳しいと思うのですね。なぜなら、欲望を抑制することを率先する人と、欲望を抑制しようしながらも出来ずにいる人と、そもそも欲望を抑制することを否定する人とのあいだに大きな断絶が生まれるからです。

かつての学生運動は外部権力からの圧力に屈したというよりも、内部的な抗争の末に悲惨な結末を迎えましたが、既存の欲望を抑制するという方向では必ず同じ道を辿ることになるでしょう。欲望を抑制するという方向で社会変革を目指そうとすれば、必ず「欲望を抑制できた人」と「欲望を抑制しようとして抑制できない人」と「欲望を抑制しようとしない人」との間で諍いが起きることになります。

 いま求められているのは、20世紀以前の世界において肯定された価値観や欲求を抑制するのではなく、それを超克的にアップデートする、ということだと思います。オーストリア出身の社会思想家、イヴァン・イリイチは「 環境危機の唯一の解決策」として「環境破壊的でない生活の仕方をとおして、自分たちは今よりも幸せになるのだという洞察を人びとがわけもつことである」と述べています。

この状況を、イリイチは「自立共生的―コンヴィヴィアルな生き方」とした上で、それは「歓びに充ちた節制と解放する禁欲( joyful sobriety and liberating austerity)という言葉で表現しています。欲望を抑制するのではなく、欲望をアップデートすることによって超克せよ、と言っているわけです。

では、どのようにして、それは可能になるのか?

イリイチ自身は具体的な答えを提示しているわけではありませんが、私の答えを先に示せば、それは「実演=デモンストレーション」によってということになります。ここでいう「デモンストレーション」とは「具体的に例示する」ということです。

既存の価値観の延長線上とは異なる、新しい社会や生き方を具体的に示す。イリイチの言うように「環境破壊的でない生活の仕方をとおして、自分たちは今よりも幸せになるのだ」ということを実感できるような実例をデモンストレートするということです。

逆にいえば、何が有効ではないかというと「説得=パースエージョン」だと思います。これはクリエイティブ・ディレクターの伊藤直樹さんが言っていたことですが、彼がコミュニケーション戦略で最もダメなアプローチだと切って捨てるのが「説得」なんですね。本当にその通りで、人間がやる行為のうちでも最もダメな行為だと思います。

そして、言うまでもなく、欲望や価値観のアップデートを可能にするような具体的イメージをデモンストレートするためには、文字だけではダメなんですよね。それが実際に目に見える形になるためには、さまざまな人たちの知恵や努力やお金や技術がいるわけで、だからこそここにビジネスというものが関わる意味があると思うわけです。

ということで、以上をひとまとめに言えば、現時点でコンセンサスの取れている社会問題に取り組むのがソーシャル・ビジネスであるのに対して、現時点では必ずしもコンセンサスの取れていない事象についての問題提起という要素を含むのがクリティカル・ビジネスだということになります。

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