見出し画像

シーチキンは何でも知っている

フレーズプラス「シーチキンは何でも知っている」。


万物の声を聞けたら人生はより楽しくなるんだろうか。
「人間以外の生き物と会話できたら」とか「物と対話できたら」みたいな願望を抱く人は少なくないと思う。

しかし実際に意思の疎通が出来てしまったらどうなるのだろうか。
画面バッキバキのスマホから「おめぇ粗雑に扱ってんじゃねぇよ」とか文句を言われてしまわないだろうか。

理論的な会話が成立するならまだ弁論の余地はあるが、感情的になってこちらの言い分も聞かないようであれば今後の付き合いは難しくなる。
折り合いが付かなければ画面バッキバキのスマホなんて即刻下取り機種変更されてハイサヨナラだ。

持ち主のケアも足りないが、ひょっとしたらスマホもスマホで狭い世界に生きていたからこそ寡聞小見で短気な性格になってしまったのかもしれない。

よくよく考えるとスマホというものは工場で産声を上げると同時にケースに詰め込まれ、携帯ショップや家電量販店に出荷された後、購入後に開封されることによって漸く空の青さを知る事になる。

その後の人格形成は当然持ち主の影響が大きいだろう。
環境によっては性格が荒れてしまうのも想像に難くない。

よしんばディスプレイのガラスやフレームのアルミニウムなど加工前の素材が記憶を持っていたとしても、無機物故人間達に雑に扱われた怨恨などが溜まっているのではなかろうか。

その点を踏まえた上でもっと理知的な会話が出来る物体は何か。
当然シーチキンである。

ただのツナ缶ではない。はごろもフーズが商標を持つシーチキン®だ。

まず第一に、原材料であるマグロやカツオは広い広い海原を生き抜いてきた。人智の及ばない領域で必死に生存していたんだ。
これだけでもう涙がちょちょぎれる。

そして加工され工場から出荷された後もスーパーやコンビニ、卸先の飲食店などに身を置く事になる。
そしてシーチキン®達は様々な人間模様を知る筈だ。
スーパーのお菓子コーナーから聞こえる駄々を捏ねる子供の声、コンビニの缶詰コーナーを横切る仲睦まじいカップル、厨房で店長に怒鳴られる新人バイト。

シーチキン®はそれらに対して愛おしい気持ちを持ったのではなかろうか。
人間達に水揚げされた時点で運命は決まってしまったのだから、潔く食されることを覚悟するしかない。
しかしそのモラトリアムの中に感じることも多くあった筈だ。

もし物体と会話が出来るなら、私はシーチキンと心を通わせてみたい。
どういう道を辿って、ここまで来たのか。何を思って、何を悟ったのか。
きっとシーチキン®は何でも知っている。
そんな願いを私は持っている。

「いただきます」と伝える僅かな時間の間に、一つだけでも心を動かす何かを掴みたい。


これさ、書いた後に思ったけどフレーズプラスというアプリを使用しているという前提を知っていないと意味分かんないよね。

でも毎回「フレーズプラスというランダムにワードを表示するアプリを使用し、その中から適当に選んだテーマを雑記風に書いています」みたいな前置きをするのも面倒臭いんだよな。
なんか考えなきゃならん。

あと「シーチキン以外にも成立する商品いくらでもあるだろ」と思った方がいるかもしれないが、それはその通りなので多めに見て頂ければ幸いだ。

おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?