Suisho

好きなもの:哲学、数学、数学基礎論、論理学、コンピュータ、経済学、歴史、文芸批評、マン…

Suisho

好きなもの:哲学、数学、数学基礎論、論理学、コンピュータ、経済学、歴史、文芸批評、マンガ、ラノベ、アニメ、ゲーム

最近の記事

学生時代以来だが、モンテーニュ『エセー』の冒頭部を読み直している。第1章に、アレキサンドロス大王がパレスチナのガザ地区を攻撃する話が出てくるので、驚いた。

    • 人生に、意味がある場合とない場合。また、その判別ができないことについて

      これは、私がそう考えているというだけなのだけれども、人倫の欠落している人生には、原理的に、意味がないと、思っている。 まずは、基本的に、人生には、意味がない、と思っている。無限に広大な、この世界で、人間の有限性を考えると、ほぼ、無に等しい。別の言い方をすると、神の無限と比較して、この世界には、さまざまな人間がいるけれども、そういった人間の間の差異は、人間の有限性を考慮すると、神の無限と比較して、無に等しい。 繰り返しになるけれども、無限から見れば、有限である人間の間の違い

      • スピノザにおける精神と身体、そして、量子もつれと空間

        スピノザの『エチカ』において、精神も、身体も、神の無限知性の中で生成されている。 精神と、身体は、その変状において、1対1に対応している。 ここで、精神と身体の間に、どのくらいの距離があるかということは、問題にされていない。というよりも、身体に変状が生じると、即座に、精神に対応した変状が生じる。逆に、精神に変状が生じても、即座に、身体に反映される。 つまり、精神と、それに対応した身体が、どのくらい離れているか、ということは、まったく問題にされていない。精神と身体は、ごく近くに

        • ネーションの根拠と反ユダヤ主義。 ネーションが、何らかの根拠を持って、存在している以上、それは、啓蒙によっては、解消し得ない。つまり、反ユダヤ主義を、啓蒙によって解消することは、不可能だ。

        学生時代以来だが、モンテーニュ『エセー』の冒頭部を読み直している。第1章に、アレキサンドロス大王がパレスチナのガザ地区を攻撃する話が出てくるので、驚いた。

        • 人生に、意味がある場合とない場合。また、その判別ができないことについて

        • スピノザにおける精神と身体、そして、量子もつれと空間

        • ネーションの根拠と反ユダヤ主義。 ネーションが、何らかの根拠を持って、存在している以上、それは、啓蒙によっては、解消し得ない。つまり、反ユダヤ主義を、啓蒙によって解消することは、不可能だ。

          世俗社会が信仰するもの

          神の不在が広く認識されている、私たちの(現代の)世俗社会においても、実際のところ、「自然法則」と「資本物神」が、新たな神としてたてられ、私たちは、この新たな神を、とても深く信仰している。 古代から、中世、そして現代に至るまで、それなりに長い年月が経過しているが、人間の基本的心性には、(この長い期間を通じて)あまり変化がない、と考えるのが、穏当なのではないだろうか。

          世俗社会が信仰するもの

          有限回の検証しかされていない仮説(すべての自然法則)が、普遍性を称することはできない。それは、僭称である。

          有限回の検証しかされていない仮説(すべての自然法則)が、普遍性を称することはできない。それは、僭称である。

          有限回の検証しかされていない仮説が、普遍性を称することはできない。それは、僭称である。

          有限回の検証しかされていない仮説が、普遍性を称することはできない。それは、僭称である。

          私は、本が読めない、あるいは、哲学書を読んでよかったとおもうこと

          本が読める人は、なぜ自分が、本が読めてしまうのかを、疑ったほうがよいのではないか。 「あなたは、なぜ、その本が読めるのか?」 「あなたは、ほんとうに、その本を読めているのか?」 私は、本が読めない。一文一文が、それどころか、一語一語に、違和感を感じてしまう。だから、進まない。一日中かけて、1ページも、進まない。 哲学書を読んでよかったと思うことは、常に挫折を繰り返していくこと、常に挫折を繰り返して、もしかしたら、何らかが理解できるのかもしれない、そういった気になるところに

          私は、本が読めない、あるいは、哲学書を読んでよかったとおもうこと

          自然科学の宗教性、また、論文を書くことと、小説を書くこと

          「自然科学の命題は、反証されない限りは、たんなる宗教的信仰であるにすぎない。」 このことは、例えば、朝、私が通勤に自動車を運転しているとき、その自動車の内燃機関が、熱力学の法則を、「正しいものとして」検証し続けている(そして、反証しない)ことによって、さらに、私自身の「熱力学の法則」に対する宗教的信仰が強まっている、ということになる。 同じように、仕事中に、ノートパソコンを使用しているときも、ノートパソコンが支障なく動き続けていることによって、何らかの、様々な、物理学の法

          自然科学の宗教性、また、論文を書くことと、小説を書くこと

          系の内部で生じる意味 系の内部で生じる意味は、系の外部から見ると、無意味である。 この世界が閉じているならば、世界の外から見て、この世界の内部のことは、無意味である。

          系の内部で生じる意味 系の内部で生じる意味は、系の外部から見ると、無意味である。 この世界が閉じているならば、世界の外から見て、この世界の内部のことは、無意味である。

          太陽が西から昇ってくる

          遠い昔、学生時代に、こんな話を友人にしたことがある。 宇宙の法則が、次の2通りのうち、どちらかだったとする。 (A)いつも、太陽が東から昇る。 (B)本日(2024年3月7日)の朝までは、太陽が東から昇る。明日(2024年3月8日)からは、太陽が西から昇る。 さて、本日現在が2024年3月7日の昼だとして、(A)と(B)の2通りの法則のどちらが正しいか、判別できるだろうか? 本日現在が、3月7日の昼だとすると、(A)と(B)の法則の結果は、観察からは区別できない。

          太陽が西から昇ってくる

          私の推論が妥当であることを、どうやって検証するのか

          以下は、私が行っている、私自身の推論が、果たして妥当に行われているか否かを、どうやって検証するか、その方法について、検討したものです。 (1)私が考えたこと 私の推論が妥当であることを、私自身が検証する場合を考える。その際、私自身が、正気であるのか、それとも、そうでないのかを、あらかじめ確定できない。仮に、私が正気でないとして、その私が行った判断が、適当であると言える保証はない。私が行った判断の結果が、私が正気であるから行ったのか、それとも、私が正気を失っているから行ったの

          私の推論が妥当であることを、どうやって検証するのか

          隣にある深淵と、いくつかの断片

          下記の(1)に対する注釈としてのリンク マルクスの周縁に見た可能性の中心:私の謎 柄谷行人回想録⑫|じんぶん堂 (asahi.com) (1)商品の価値は、商品に内在していないのと同じように、言葉の意味は、言葉に内在しておらず、同様に、個人のアイデンティティは、個人に内在していない。それらは、交換、または交通の中で、生じる。 下記の(2)に対する注釈とは言えないリンク 最終審級と言説の政治 - a journal of sociology (goo.ne.jp) (2)

          隣にある深淵と、いくつかの断片

          近代自然科学における感性の優位

          前に書いた記事「理性と思弁の堂々めぐり、そして2つの切断」では、最後に本居宣長と「もののあはれを知る」について、少し取り上げました。 理論と思弁の堂々めぐり、そして2つの切断|Suisho (note.com) そこで、知・意・情の3領域(理性・道徳性・感性)のうち、情(感性)の領域が特権化されて取り出されること、それが文学の擁護につながることを書きました。ここで、文学というのは、近代文学(特に小説)と置き換えてもよいと思います。 今回は、近現代の自然科学を取り上げてみます

          近代自然科学における感性の優位

          理論と思弁の堂々めぐり、そして2つの切断

          今回の参考文献は、以下のとおりです。 ちくま学芸文庫『柄谷行人講演集成1985-1988言葉と悲劇』所収の講演「江戸の注釈学と現在」 この講演録を読んで、そこに書いてあったことを元に、以下の話を組み立てていきます。 朱子学の理論体系(あるいは、トマス=アクィナスの神学体系)においては、それが理論体系である以上、特権的な個人というものは出てこない。必要ない。少し言い換えて、およそ理論体系というものは、特異点(単独性:singularity)においては破綻してしまう。それゆえ、

          理論と思弁の堂々めぐり、そして2つの切断

          実数と無理数、そして超越性のこと

          こういう題名だと、超越数($${e}$$とか$${\pi}$$とか)の話かと思う方もいると思うのですが、(たぶん、いやかなり:…ちょっと自信がなくなってきますが、自分でも、いつもながら良くわからないことを書いているので)違うのでご注意ください。 さて、今回も次のリンク先(PDFファイル)の冒頭部分を参照しています。 【指数関数の定義について】http://takeno.iee.niit.ac.jp/~shige/math/lecture/misc/data/exponent

          実数と無理数、そして超越性のこと