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「衝撃の〇〇歳」の思い出を振り返る Part.3 ーネッ友界の先駆者の方ー

自分がホームページを作りたいと思うきっかけになる方が存在する。その方は自分の1歳上で、首都高バトル掲示板を通じて知り合ったのだが、既にホームページを運営し、掲示板も管理されていた凄い方だった…。

※BBBさん(旧びびび/BBBさん)いつも動画を引用させて頂きありがとうございます。

掲載の「ドレコン」について触れられている動画、再生時間をこちらで予め設定させて頂いたのだが、再生ボタンを押されてすぐに表記されている「15歳の86乗り」というエントリーネームこそ、今回紹介させて頂く方である。実を言うと、自身のホームページでは何故かリンクの掲載が終了しておいり、恐らく何らかのご事情で閉鎖された可能性もあるので外させて頂いたのかもしれないが、紛れもなく自身がホームページを立ち上げようという意欲を抱かさせてくださったのは、15歳の86乗りさん、こと「魅惑のマジシャン」さんである。

ちなみに、魅惑のマジシャンさんのYouTubeページには懐かしのバナーがヘッダー画像として掲載されており、これが本当に自分にとっては本当に懐かしすぎて、思わず感涙してしまいそうになった。そうなんだよ、このバナーを毎日クリックしていたんだ…いやぁ、本当に懐かしい。

バナー画像については、下記に掲載させて頂いているご本人様のページをご覧いただければ幸いです。

ということで、当時を振り返るにあたり、ここからは改めて「15歳の86乗り」さん、あるいは「86乗り」さんというお名前で触れさせて頂きたい。上記のお名前からもお察しの通り、AE86型レビン・トレノをこよなく愛される方である。

86乗りさんのホームページは既に掲示板も敷設されていた。首都高バトル掲示板では厳しい大人のルール、要するに未成年であっても敬語やマナーを求められる中で、ユーザー同士の交流を紳士的に行う原則であったのとは対照的に、比較的同年代のゲーマーやファンの方々が、交流しやすい環境作りをいち早くご提供して頂いた形となり、我々にとっても非常に居心地がよく、多忙な中でそうした環境を実現して頂いたことも含め、本当に大変有難かった。

もちろん、同年代の集まる掲示板のみならず、現在で言うところのゲーム実況を先駆けるような「企画」も大きな目玉の1つであった。首都高バトル0というゲームを通じて「86だけで全クリ」「無敗でクリア」など、文字情報のみで進捗状況が逐一報告されていく企画も、友達の家に遊びに行き、その友達のゲームのプレイを応援しに行くような、まさしくゲームセンターCXの先駆けともいえるのだが、あの企画は毎日眺めていて本当に楽しかった。勿論、現在の映像も音声も無理なく流れる環境下であるほうが、圧倒的に情報量も娯楽も敵わないのかもしれないが、個人的には文章の情報の中で一喜一憂する感じも楽しかったのだと思う。

何より、86乗りさんが同世代に先駆けてホームページを運営されていたことで、多くの同世代のネッ友界隈の皆様が触発され、自身もまた作成・運営に携わる形になっていったのである。86乗りさんのページに出会わなければ、恐らく「何となく作ってみたいな」程度で終わっていたと思うし、具体的にどういった要素が必要か否かも含めて、陰ながら学ばせて頂いてたので、その意味では後押しして頂いた形になったのだと思う。

この当時は、インターネットにおけるホームページや掲示板に、一種のコミュニティのような居心地の良さを感じられた時期でもあった。その意味では、それぞれの住処たるページや掲示板に足を運ぶ感覚で、あるいは自身のページにいらっしゃったネッ友の方を歓迎する意味で返信を行ったり…そうした面白さや居心地の良さを、中学生という多感な時期にいち早く知ることができたのは、本当に今振り返っても貴重な体験をさせていただいたのだと思うし、今日のSNSを中心とする上に誰もが気軽に参加できてしまうネット社会では、そうした「開かれているが限られた人たちのコミュニティ」実現は難しいのかもしれない。





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