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【障害者関連問題・マイノリティ関連問題】反対意見でもいい。まともに話し合いがしたい。

前回の記事で
名古屋城の修復に関する
市民討論会での
障害者への差別的発言や
非難などのテーマを
取り上げました。

その話題を取り上げた
私のYouTubeチャンネルの動画に
コメントをいただいたことも
書きました。

コメントをいただいた方は
私の動画への
明確な反対意見では
なかったのですが。

昔のお城というものは
基本的には武士のために
作った戦いのための場、
要塞のようなものであり、
もしそれを忠実に再現するなら
梯子などで上がる城も多いので
合理的配慮を行い、
バリアフリー仕様にするのは難しい
というようなご意見だったのですが。
最後に
でも現代風、
あるいは宮殿風に
バリアフリーで
みなさんが気軽に訪れることが
出来るようにしましょうよ、
ということを述べられていたんですね。

私は
そのコメントから
非常にユーモアというか、
柔らかさ、
バランス感覚を
感じて
気持ちが温かくなったんですよね。

やはり
この障害者問題とか
マイノリティ問題とか、
他のトピックでも
そうかもしれませんが、
自分の意見が絶対で
それに反論するものには
1ミリの隙も与えないと
いうような状況が
まかり通り過ぎている気がします。

自分の意見で相手を
叩き潰して、
それが政策などに反映されたら
「勝ち」なんでしょうかね?
勝ち負けを決めつけることに
意味があるのでしょうか?

私自身も
自身のテーマに関しては
つい熱くなってしまうので、
自戒も込めて
書いています。

それこそ
認知療法の
ゼロヒャク思考ではないですが。

自分の意見が100%正しくて
反対意見が全て無しということは
ほとんどの場合、
ないと思うんですよね。

当然ながら
ヘイトスピーチとか
ただの悪口とか、
差別的発言、
誹謗中傷は
ダメです。

でも
そうでない限りは、
きちんとした考えや
ロジックがあるなら、
反対意見にも
考慮するべきところは
あるはずなんですよね。

もちろん
政治や行政は様々な
意見がある中でも
一定の結論を出して
いかなければ
ならないのですが。

ヘーゲルの弁証法で言う、
正と反を止揚して合で
素晴らしい結論になる、
というように
いつも理想的には
いかないでしょうけれど。

でも
やはり
反対意見、
あるいは異なる意見を言う方、
あるいはその意見の中にも
なんらかの妥当性や
また、
その方の何らかの事情や状況など
背景が隠れているのかも知れない。

そういうある種の
自分の知らない世界が
あるかもしれないという想像力、
謙虚さを持つべきだと思います。

最終的に
どういう結論になったとしても、
全ての方の意見を
汲み取ることはできないとしても、
建設的に話し合うことができたなら
何らかの良いものが
それぞれの人の心に残り、
良い社会や
世界を作る方向性に
結びついて
いくのではないかと
私は感じています。

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