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芸人の評価【ほぼ無料】

本日の記事は、

落語ファン初心者がよく抱く「TVで出てる落語家さんより、この落語家さんの方が面白いのに、なぜTVに出ないのだろう?」という素朴な疑問や、

一般の方々は「TVに出てない落語家は落語の実力がないからTVに出ていないのだ」という思いがある一方で、「TVに出てるような落語家はちゃんと落語ができない」という思いを同時に持っているという謎現象

について、独断と偏見をもって解説していきます。


芸の評価とは何か?

まず「芸人の評価」において、客観的に評価しやすい項目は、
(芸の評価ではなく、あくまで芸人の評価)

●資産・収入
●認知度
●集客力
●笑わせる度合い
●満足度


かと思われます。後半になるにつれ、主観的に感じますが、「アンケート」や「音量測定器」などで客観分析や統計的集計も可能だと思います。
(実際にやる・やらないは別として可能です。)
ただし「どこでどんなアンケートを取るか」によって微妙に異なる結果は出るとは思いますが・・・、それでも何らかの調査結果は出ます。これは芸人の評価です。

一方で、それの大元とも言うべき「芸そのもの」を評価することは非常に難しいです。またそもそも「芸」とは何なのでしょうか?
「芸を評価」する上で、よく言われるのは、、、

●仕草的な技術(踊りやマイム的な動き)
笑わす技術(話術)
物語を伝える力(話術)
●お客様を納得させる力(話術・総合力)

●顔芸・キャラクター
人間性・性格

みたいなことが挙げられます。もちろん、これだけではないでしょうし、最終的には総合的な判断になるんですが・・・。

ただ、結論だけ言えば、

「芸の評価とは、お客様それぞれが芸人に下す主観的評価なので、芸に客観的な評価を下すことは不可能」

としか言えないです。
いわば、カレーとハンバーグを比べたり、AさんとBさんの好みを比べるみたいな話ですから、どこまでいっても最終的には主観でしかないです。「俺は●●屋のカレーが最高や!」「いや、俺は▲▲屋のカレーの方が好き!」「そんなもん、食べたいときで違う!」みたいな話です。

もちろん、人間が年齢を重ねていくにつれ味覚が変わるのと同じように、年齢を重ねていくことで「この年齢に好まれやすいネタ・噺家」や「初めて聞いた時に喜ばれやすいネタ・噺家」というのは存在します。たとえそうであっても、それは「傾向」とか「統計的には…」という話かと思います。
ですので、本日は「統計的or客観的な評価で測る芸の一側面」の話と、「芸は絶対的には測れない」という話をさせて頂きます。

経済力では「芸の力」は測れない

★一般の感覚=「芸人の評価は経済力で測る」

「経済力で芸の力など測れない」と書くと、一瞬、当たり前のように思いますが、現実社会において、普通の人間は、直感的にはまず経済力で芸人を評価するのが一般的です(笑)

実際、落語を知らない人の普通の感覚としては、「TVに出てない落語家は、落語の実力がないからTVに出ていないのだ」というのが一般的だと思います。
つまり、落語の実力において、

TVに出てる落語家  > TVに出ていない落語家

という優劣の図式です。
これはある意味、本当に「ふつうに当たり前の感覚」だと思います。
(正解かどうかは別として標準的な感覚だと思います)

何かを比較するには必ず「ものさし」や「基準」が必要です。
ふつう、社会人として、特に同じ分野の能力の優劣を測る場合、当然「経済力」で比べるのが一般的ですから、そう思うのは当たり前です。
つまり、一般的に芸の優劣を比べるときには、

●資産・収入
●認知度
●集客力

というような基準で比べると言えます。
それはなぜかと言うと、一般人は、そもそも芸を見ていないし、芸の比較もしていないからです。

しかし、一方で一般の人は「TVに出てるような落語家はちゃんと落語ができない」という偏見も同時に(本当はやや後から)抱いたりします(笑)
実際、「TVに出ないとあかんで」と私に言うた数分後に「せやけどTVに出てる落語家なんか、落語ちゃんとやってへんやろ」などと言う人に今まで山ほど会いました・・・(笑)

これは何らかの「耳学問」なのか「先入観」なのか「噂」なのか「直感」なのか、「自分の知っている分野でも起きてることからの類推」なのかはわかりませんが、どこかそういう偏見を後出しで言い出す人が多いです。
ひょっとすると「経済では評価されない何かを理解できる自分」を表明したいのかもしれませんし、あるいは「経済で全てが評価される訳ではないという分別も持っている自分」を表明したいのかもしれません。
あるいは単純に「断定したあと、間違えを防ぐための保身」みたいな衝動かもしれません。

いずれにしても、これは直感として、

「経済力で芸を測るのは単純な行為であり、その単純な行為で測ってはいけない(それが全てでは無いはず)」

という意識なのだと思います。つまり「経済力」という誰が見ても明らかな客観的基準の評価は認めながら、一般の人は、どこかその評価を確定させることには不安が付きまとっていると言えます。

しかし、異なる職業同士の社会的価値を測定する場合、「経済力で測る」のがよくある光景ですから、「芸の評価」はともかく、「芸人の評価(社会的評価・総合評価)」は経済力で測りたくなるのでしょう。
そんな訳で、

今の現代的な感覚では、「TVに出ている落語家は一定の実力があるからTVに出ているのだ」という思いがある一方で、「TVに出ていない落語家さんでも凄い人はいるのだろう」という肯定的表現になっているのかもしれません。

昔の高度経済成長期の価値観=「TVに出てない落語家は落語の実力がないからTVに出ていないのだ」&「TVに出てるような落語家はちゃんと落語ができない」という偏見を上品に言うた感覚なのかもしれません。
(昔は、顧客が上から目線で評価しているのでしょうね・・・)


★落語ファンの鑑賞眼の絶対的な自信

一般の人が、落語ファンになった場合、
自分自身の鑑賞眼・自分の嗜好で、個別の落語家を選んで見に行くようになるので、個々の噺家への評価は絶大なる自信を持ち出します。

それは、自分の主観的基準における「笑わせる度合い・満足度」の高い噺家を選んでいるので、その鑑賞眼はゆるぎない真実(絶対的評価)だからです。

そうなった場合、「TVに出てる」「認知度が高い」「資産がある」など、本当にどうでもよい話になります。

だからこそ、落語ファンになりだしたときは、「面白い人ほどTVに出る」という固定観念(一般常識?に近い感覚)を自分もかつて持っていただけに、

「TVで出てる落語家さんより、この落語家さんの方が面白いのに、なぜTVに出ないのだろう?」

という素朴な疑問を抱きやすいのです(笑) 
そして、そこを超えて何回も落語会に足を運んでいくと、

「落語の面白さと、TVに出ることとは全く別」

という事実なのか感覚なのかを、ただただ受け入れ出します(笑)
しばらくすると、麻痺するのか、自分の好きな落語家が多数の一般人に全く評価されず、そしてTVに全く出ていないことに何の違和感も感じなくなり、そんな疑問を持つことすら忘れてしまいます(笑)

ちなみに、西暦2005年以前は、娯楽が今ほど細分化していることが認知されていないので、そういう落語ファン=「好きな落語家がいる人」は、
一般人からすれば「TVに全く出ていない芸人の会に足繫く通う奇異な人」=「ヤバイおたく」にしか見えませんでした。それは「皆が同じ感覚や趣味を持つ」という高度経済成長期的な価値観が一般的だったからだと思います。
現代においては皆それぞれが多種多様な趣味を持つという前提がありますので、「TVに出ていない芸人の会に足繁く通う人」も「普通の趣味人」と世間に思われます。

今の落語ファンの多くはもう「仁鶴ブーム」「枝雀ブーム」「ザ・パンダ」も何も知らないです。TVには「明石家さんま・笑福亭鶴瓶」「笑点」「志の輔・志らく・談春」「神田伯山・春風亭一之輔・桂二葉」みたいなカテゴリーがあり、それとは別に落語会・寄席がなんとなく存在している状況です。
一般の人にも何かそういう世界があるらしいという認識があり、落語ファンには、「落語界とは、たまにTVの有名落語家がイレギュラーや豪華版の時には出演してくる世界」という認識です。

「仁鶴ブーム・枝雀ブーム・ザパンダ」時代の感覚=高度経済成長期の感覚では、落語市場は日本中を席巻していましたし、落語のマーケットは全人口を巻き込む大きな市場であるはずと思うのが一般的でした。しかし、今はそうではないです。もちろん落語ファンは「もっと多くの人に落語を知ってもらいたい」という思いはあるものの、そもそもが「一定数の人に好かれる小さなマーケット」という認識になって来ていると言えます。
落語ファンの最終的な認識も、

「自分の好きなライブで活躍する落語家は、TVに出て有名になって欲しいけど、その人の芸をTVで見て面白いかというと面白くない」=「ライブでやる芸とTVで評価されることとは別」

という冷静な認識に至ることが多い気がします。
※ちなみに、「自分の好きな落語家がTVに出演していてワクワクしている」時は、それはその芸が面白いからではなく、「親戚の子がTVに出てるのをみてワクワクしている」のと同じ感覚でしかないのです(笑) ですから、前述の「冷静な認識」とは、親戚を見るようなワクワクと芸の面白さをゴッチャにしないような認識のことです。

「集客力や認知度のような経済的な評価」は、客観評価ではあるものの、どこか「芸の評価」ではないと皆が思っています。その状況で、自分が落語ファンになった時には「他の誰でもなく、自分の鑑賞眼・審美眼という絶対的評価で芸を評価する」ので、自分の感覚に対して絶対的自信を持ちます。
突き進めば「人の好みは様々」でしかないのですが、

「経済的な評価は芸の評価とはちょっと違う」という先入観が最初にあり、
「自分は周りの人間よりたくさん芸を見た」という自信・事実があり、
「ある特定の落語家を面白いと”主観的に”思った」のは、絶対的事実(客観的事実)になる
ので、

落語ファンはそれぞれ「俺は絶対的な鑑賞眼を持ってる」と思いがちです(笑)・・・それはそれでええんですけど。ある意味、その人にとっての「絶対的鑑賞眼」で間違いないのですが、これは「あくまでも、その人にとっての主観」なのです。でも「絶対的」なので、その評価を客観評価と勘違いしてしまいやすいです(←自分が主観的に好きという客観的事実と、客観的評価は別なのに…)。ですから、落語コンクールを見たお客様たちは、自分の好みでない噺家が勝った場合は「あれは無いわ!おかしいん違うか!」と腹が立つのはこのためです(笑)

いずれにしても、この「落語ファン」=「落語会のコアな顧客層」は、日本の全人口=一般的な人よりも圧倒的に人数が少ないのですが、「鑑賞した回数」は一般的な人よりも圧倒的に多く、「小さいながらも堅固なリピーターのマーケット」を形成しています。そして、その「堅固なマーケットに支持されている噺家」というのが存在し、その噺家は有名人噺家とは別ジャンルとして存在しているので、その噺家は「芸で評価されている」とみなされやすいです。(←落語ファンの主観的評価の”数”が多い)

その「落語ファンの堅固なマーケットに支持されている落語家」は、当然、有名落語家よりも経済力では劣っています。しかし、その「堅固なマーケットに支持されている落語家」は、多数の落語ファンに支持されているという客観的評価を得ています。ですので「芸は、TVで有名でないが、●●師匠が一番!」という落語ファンが多数発生します。もちろん一番と評価される「●●師匠」は複数出るのですが、「有名でない落語家を推す人が多数発生する」という事実が存在します。その事実があるがゆえに、落語界においては、「芸は経済力や知名度では測れない」という確信が生まれるのだと思います。

経済力以外で「芸人」を評価する方法

★エンゲイ係数(エンゲル係数ではなく演芸係数)

「落語界で評価されている落語家」は、落語ファン内において、「メディアで有名な落語家」よりも人気があったとしても、一般的にその事実を伝えることは難しいです。
またそれを「可視化(客観データ化)」することも難しいです。多くの場合、落語ファンは、各個人が「私は●●師匠が誰よりも好き!」と叫ぶことしか出来ず、歯がゆい思いをします(笑)

そこで、私が「落語家が観客にどれぐらい熱く支持されているのか」という度合いを「可視化」する方法を思いつきました。それが「エンゲイ係数(演芸係数)」です。

エンゲイ係数とは、

「お客様個人がその落語家を見るために使った年間入場料の合計÷お客様の所得

を計算した数値のことです。これで、そのお客様がその落語家にどのぐらい熱意を持ってるかが分かります。

そして、客席にいるお客様のエンゲイ係数の平均値を各噺家で比べていけば、「どれぐらい落語ファンに好かれているか」が客観視できます。

もちろん、実際問題、これを数値化することは不可能です。
しかしながら、

「お客様が自分の好きな落語家に使う入場料÷お客様の所得」を比べたら、
有名な落語家よりも●●師匠の方がきっと数値は高くなる!

と言えば、少し落語が分かった人や一定の知性のある人なら、

「●●師匠の凄さ」

が少なくともわかるかとは思います。つまり、この計算式を喋れば、どこか皆さん、芸について「腑に落ちる」と思います。

これは別に、有名な落語家さんを貶める意味ではなく、有名な落語家さんは経済的評価によって既に「価値がある」ことは誰もが認識しています。そこは大前提です。
エンゲイ係数は、あくまで「有名ではないが、業界内の凄い噺家」も「価値がある」と一般人に示すための数値です。もっと言えば、実は、この数式を表明することこそが、「有名ではないが、ライブ芸として素晴らしい噺家がいる」という表明になっていると私は思っています。

もしも「統計的or客観的な評価で測る芸の一側面」を調べるとするなら、このエンゲイ係数を使ってほしいものです。
しかし、実際、本気で調査するなら、
「ライブの落語会にn回以上通ったことがある人」のアンケートを取る方が現実的です。その場合、是非とも、「n=100」とかで、「東京版」「大阪版」でやってみて欲しいものです。

落語ファンの違和感

落語ファンになればなるほど、色んな違和感を抱きます。
特に「有名な落語家と、落語ファンに好かれる落語家を比較した時」や「他のジャンルと落語界を比較した時」に顕著に現れます。また業界の出版物やメディアでの内容にも「う~ん」という思いを抱きやすいです。

それはなぜなのか?

ということについて、以下考察します。
ひょっとすると業界関係者が不快に思う可能性もあるので、以下は有料とさせて頂きます。

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