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その村は「何かやらかしたい」と思う全ての人にとって、最高の場所となる

久しぶりにmixiを見ると、そこには「何かやらかしたい人集まれ」というコミュニティがあった。

mixi全盛期は、このコミュニティに1万人以上いた気がするし、2022年になった今でも、4,000人以上の人がいて、きっとこのメンバーは、過去であれ今であれ、そして未来であれ「ワクワクする何かを作り上げたい」とか「世界に痕跡を残したい」とか、そういった事象に心躍らせられる人々だったのだと思う。間違いなく「何かをゼロから作り上げる素質」が集合していた。

何かやらかしたいとは、抑えきれない衝動だ。その正体が一体何かと問われると、正直言葉に詰まる。そう思うのだから仕方がない。しかしその、理由のない衝動こそが、世の中に新しいワクワクを生み出す。

一方、その衝動の中で、実行と共に世界へ痕跡を残せた人は、一体どれくらいいたのだろう? コミュニティの残滓を見ながら思うのは、メンバーが全員、何かを作り上げることができたなら、きっと世界にはもっと、楽しいことが増えていたんじゃないかということだ。

何か世の中にワクワクするものをぶち上げたい衝動が4,000人〜10,000人も集まっていたのだから。とてつもないエネルギーだ。そのエネルギーをうまく使って世の中を面白くすることができなかったのだろうか。そんなモヤモヤがあるからこそ、僕らにはやりたいことがあるのだ。

「何かやらかしたい衝動」の火種を大火にする


世界にはたくさんエネルギーの形があるが「ワクワクすることを成し遂げたい」といった類の気持ちは、もっと大事にされたほうがいい。何しろ今「何か成し遂げたい」とった衝動を持つ人は少ない。火を起こすには火種が必要だが、そもそも、火種を持つ人さえ少ないのだ。

この火種をより大きくするための仕組みが欠けている。誰もが口を揃えて「本気でやりたいことがあるなら、自分で勝手にやる」というが、人は知識や環境、理解している選択肢で、その道は大きく変わる生き物だ。ふと生まれた火種に、なんらかの形で薪がくべられたら、火は大きくなる。その薪をくべる人も、薪そのものも、今は「偶然」に頼ってしまっているのだ。それで本当に良いのだろうか??

勿体なさすぎる。

偶然ではなく薪をタイミングよく、火種にくべられる人が必要だ。多くの人は、どういうわけか衝動の先に生まれるものを、偶然の産物でしか見ていない。何か新しいものが生まれるとしたら、偶然、その衝動の火種が大火になるのを待っているのだ。なぜ、ここにだけ仕組みがないのだろう。あるとしても、せいぜい、セミナーやコーチングといった、スポットでのモチベートのみだ。もっと根本的なシステムがないのだろうか。

「人と環境」こそ衝動の薪となる


僕たちが作りたいのは、まさにこれだ。衝動という火種を大火にする仕組み。「何かやらかしたいという火種」に薪をくべて大きくする。さらに、アイディアを出し、構築する力を習得してもらって「やらかしたい」のではなく「やらかした」状態を実現できるようにする。衝動を持つ全員にやらかしてほしい。全ての衝動を余すことなく、アウトプットしてほしい。

では、そもそも衝動という火種にくべる「薪」とは何なのだろう。

それは影響を与えてくれる「人」であり「環境」だ。人は他の誰かとの出会いや会話によって成長する。進歩する。素晴らしい誰かとの出会い以上に、人を成長させてくれるものは、そうそう無い。では、最も効果的に人と出会い、影響を受けて成長しあえる環境とは、一体どういうものだろうか。

僕らは村だと思う。

もちろん閉鎖的な村ではない。色々な事業や挑戦をしている人、したい人が集まる村だ。外からどんどん新しい情報を吸収し、皆がそれぞれ多種多様な挑戦をして、お互いにフィードバックを与え合う。そんな村があったら、否応なく衝動という火種は大火として燃え広がるだろう。

しかも、村にはさまざまな人が集まっていて、色々な店、商売があったりする。だからこそ、何か面白い挑戦を思いついた時、果たしてその挑戦がうまくいくのか、価値のあるものになるのか、実証実験がしやすい。これほどまでに「何かやらかしたい衝動」を支援できる環境は他には無い。

シェアハウスをやって起こったこと


将来的には「何かやらかしたい人」が集まって、互いの火に薪をくべ合うような村を作る。でもその前に、より小さな実験が必要だ。小さく試してうまくいったら、より大きなプロジェクトとして実現する。だから、クリエイターや起業家人材になりたい人が集まって学び合うシェアハウスを作った。結果は成功だった。たくさんの人がお互いに影響を与え合って、たくさんのクリエイターや役員や取締役になる人材、そして起業家も生まれた。

クリエイターや起業家人材が生まれる環境づくりが大事なのだ。村だけそこにあったところで、集まってくれた人たちが成長し、何かを生み出そうとする環境がなければ、全く意味がない。クリエイターや起業家人材が育つ仕組みそのものを、僕たちは村の「ソフトウェア」と呼んでいる。ちなみに村そのものが「ハードウェア」だ。

僕たちは人が成長し、挑戦を始め、ビジョンを実現していく、そんな環境を作るソフトウェアを、いかに鍛えるかが最重要だと思っている。ソフトウェアさえ完成すれば、世界中のどこでも、クリエイターと起業家が成長し、次々に挑戦をして事業や産業を生み出す村が作れるからだ。

村を一箇所作って終わり、なんてことはしない。大事なのは世界中どこでも「クリエイターと起業家が生まれるコミュニティのネットワーク」であることだ。世界中にその村は存在し、自由に行き来して、どこでも自分の挑戦を始められるような環境づくり。そのネットワーク全体があって、はじめて僕たちの「村」は理想型になる。

何かやらかしたい衝動に自由を与える


誰かが言うかもしれない。「やりたいと思うだけでは意味がない」と。「衝動はあっても実現できないなら意味がない」と。確かにそうだが、100%そうではない。

少なくとも僕らは、衝動を持つことだけで価値があると思っているし、それは、どんな形であれ薪が焼べられたら大火に育つ。何かやらかしたいという衝動が生まれただけで、すでに素質は無限への一歩を踏み出している。あとは踏み込むだけだ。

周りからの嘲笑なんて言わせるだけ言わせておけ。
実現すれば、すべては覆る。
僕らもこれまで、何度だってそうやって生きてきた。

なぜやるのか。どうやってやるのか。何をやるのか。そこに翼を与え、自由を与えるのが、僕たちが作り出す村の使命だ。世界はこれ以上ないほどに不自由かもしれないが、それは誰もが自分なりの鎖を外す方法を見つけていないからだ。羽を生やす方法も分からなければ、衝動をどう扱って実現してやればいいのかも分からない。それが普通だ。気にすることはない。

だが、鎖を外すための、羽を生やすための方法は、誰かからそのまま与えられるわけではない。だから、試行錯誤だけはやめてはならない。どうやって鎖を外すのか、羽を生やすのか。それは誰もが自分だけの方法を持っている。誰かの方法を真似したからと言って、それが自分を自由にしてくれるわけではない。誰かの方法は参考にできるが、結局それをカスタマイズして自分型に変える必要があるのが常だ。

ただ、試行錯誤してもがきやすい環境があるかないかでは、大きく違う。僕らが作る村は、まさに試行錯誤や実験がしやすい場所だ。お互いにモチベーションを上げ、互いのサービスを試し合い、そうやって鎖をはずし、自由になっていく。何かやらかしたいという衝動と、その実現を加速させるとは、そういうことだ。

その衝動で不自由な世界をぶっ壊せ


自由でいられないということは、自由を縛る何かがそこにあるってことだ。世界はこれほどまでに自由なのに不自由でいるのは、その鎖の断ち切り方を見つけていないからだ。不自由な世界は自分の中にあるもので、全てが縛られているわけではない。本来、世界は自由なのだ。

だから、壊すのは自分の中だけにある不自由な世界だ。

何かやらかしたいという衝動の元に、自分の内側にある鎖を断ち切れ。全ては自分の中にある不自由なのだから、全ては自分次第なのだ。試行錯誤して、もがいて、戦い続ければ、不自由の鎖は必ず断ち切れる。僕らの目指す村は、やらかしたい衝動を持つ全ての人たちを解放し、自由にする。そのために、もっとも最適な場所をつくろうという話なのだ。

もし、この村開発のプロジェクトに興味を持ってくれる人がいるなら、ぜひこのnoteをフォローしてほしい。ぜひ、今後の活動が具体的にどうなっていくのか、見定めてほしい。僕らの成長過程を見ることで、きっと、どうやって不自由の鎖を断ち切り、何かやらかしたいという衝動を実現していくのか、理解できるはずだ。

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