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「倭」「大王」から「日本」「天皇」に変わったのはいつ?

 「漢書」や「後漢書」、さらには「三国志』などに登場する古代中国の日本に対する呼び名は「倭」であった。「魏志倭人伝」にもあるように、日本人のことは「倭人」、日本の王は「倭王」あるいは「倭国王」と記されている。 

 ところが、645(大化元)年7月、朝鮮諸国の使節に対して、日本側は「明神御宇(あきつみかみとあめのしたしろしめす)日本天皇」と称したという。これが、初めて歴史書に「日本」という文字が登場したケースで、648(大化4)年には、日本から唐へ行った使者が「倭国は、自らその名を嫌って日本と改めた」と語ったと、「唐書』(945年成立)に書かれている。また、702年の遺唐使の際にも、国号を「日本」と名乗ったという記録が残っている。もともと、「倭」という文字には、「背が曲がって低い」「醜い」「人に従順なさま」といった意味があり、中国側から見た差別用語の意味で使われる漢字だった。

 当初は、中国側の言うままに「倭」と名乗っていたが、漢字の知識が広まるとともに、「倭」という文字を嫌い自ら国名を考え、「日本」と名乗るようになったとみられている。その時期は、正式にはわからないが、645年の大化の改新以降という説が有力である。
 『日出づる処(ところ)の天子、書を、日没する処の天子に致す。つつがなきや…』 
 これは、607(推古15)年、厩戸皇子(後の聖徳太子)が隋の皇帝に送ったとされる有名な国書の一文だ。「日本」という国名が、この「日出づる処」という言葉をもとにして考えられたのは確かとみられる。ちなみに、国内で正式に「日本」という国号をつかったのは、701年に成立した「大宝律令」が最初である。

 では、「天皇」という言葉が用いられるようになったのはいつの頃からだろうか。現代では、神話時代の神武天皇にはじまり、歴代天皇をすべて「天皇」と呼んでいる。そのため、当時から「天皇」と呼ばれていたと思っている人もいるだろうが、じつは当初は「大王」と呼ばれていた。たとえば、埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘には「加多支鹵大王」とあり、これは雄略天皇のこととされている。

 では、いつから「大王」が「天皇」に代わったかといえば、近年では天武天皇の時代からという説が有力になってきている。そもそも、中国では、「天皇」とは北極星を神格化した宇宙の最高神を指し、674年、唐の高宗が「天皇」と称したことがある。高宗の後、再び「皇帝」に戻るが、674年は、日本では天武天皇の時代。天武天皇は道教の熱心な信者であったこともあって、高宗を真似て「天皇」と称したとみられている。

 また、天武天皇は、壬申の乱の勝利により神とも祟められる権威を手にした人物。その大権力者が、昔ながらの「大王」に代わる「新しい称号」を求めたのではないかともみられている。さらに、近年、天武天皇時代の飛鳥浄御原宮の推定地から、「大津皇」と記された木簡が見つかった。その下に「子」の字があったことが推定されるが、「皇子」という言葉は、天皇という語がなければ、意味をなさない。そこからも、少なくとも天武天皇の時代には、「天皇」という称号が使われていたことが裏付けられている。

 歴史って面白い。中国から差別された「倭」の「大王」が、中国の真似をして「日本」の「大王」の呼称を「天皇」にしたということか。

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