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普通ってなんだろう? 人権ってなんだろう?

 徳島の人権教育が素晴らしい。徳島県立人権教育啓発推進センター「あいぽーと徳島」では、未来を担う子どもたちが「人権」と向き合い、自分なりに考えるきっかけをつくるため、様々な人権教育を行っている。その活動の一環として、徳島では「人権に関する児童生徒の作品」を毎年県内の児童生徒から募集している。いくつか読ませていただいたが、レベルがすごい。その中でも、高校1年生の女子生徒が書いた文章は圧巻だった。

 人権を取り巻く状況は、同和問題や学校での悪質ないじめなど、従来の人権課題に加え、各種ハラスメントや性的マイノリティに対する偏見・誤解、インターネット上での人権侵害など、様々な課題が顕在化している。しかしながら、人権教育の啓発がかなり遅れている自治体もあるため、ぜひ徳島が取り組んでいる人権教育を参考にしていただきたい。

「普通」ってなんだろう 

 私の小学校四年生の弟は、昨年までヘアドネーションのために髪を伸ばしていた。小学校二年生の頃から大切に伸ばしていた髪、さらさらのロングヘアだった。 
 ある日、弟が泣きながら学校から帰ってきた。何があったのかを聞くと、学校で「オトコオンナ」とからかわれたらしい。小学生で髪の長い男の子は珍しいのだろう。また、小学生なのでヘアドネーションについて知っているような子も少ない。周りの子たちに髪の毛を引っ張られたり、からかわれたりしたそうだ。 
 私は、この話を聞いて、とても心が痛くなった。私は長い髪を結んで一生懸命サッカーをする弟がとても好き トだった。病気や薬の副作用で1髪の毛がない子どもたちに、髪の毛を寄付するために行動できる弟を尊敬していた。なぜ、人のために行動している弟がいじめられなければならないのだろうか。
 「自分と異なるものを受け付けられない。」このような思考からいじめや差別は生まれているのではないか。男の子は髪が短いのが普通だ、男性がメイクをするのは変だ、このようなジェンダー的固定観念が日本では多く見られるように感じる。自分が普通と思っていること以外を受け付けようとしない姿勢を変えることが、今の社会で人権問題を解決するために最も必要なことだと思う。私たちはどうしても、同じ集団の人間に対して、自分と同じような性質、概念を持っていると思ってしまう。 
 そして、その「自分の中の普通」とずれた外見や性格、考え方と接すると、違和感を感じ、拒絶してしまう。この中には、自分が「普通」の存在であることを肯定しようとする心理もあるのではないか。 
 自分の中の「普通」以外を認め、共存するにはどうすればいいのだろうか。まずは「知る」ことではないだろうか。 
 今まで拒絶してきた、自分と違う性質を持つ人と関わることで、新たな概念を知ることができる。多様性を認めるというと、とかくマイノリティや社会的弱者を想像しがちだが、隣の席の子や、同じクラスの子を理解しようとするだけでも意識は変わっていくだろう。自分とは違う考え方があることを理解し、否定しない。そうすることで、「自分の中の普通」という殻にこもったままでは知り得ない、新たな考え方や価値観に出会うことができる。これは自分の世界を大きく広げてくれて、とても面白いことだと私は思う。いろいろな人に関わり、互いに認め合っていくことを楽しんでほしい。 
 私の弟は、その後髪の毛を団体に寄付し、今は短髪で一生懸命サッカーボールを追いかけている。弟の髪の毛は、世界のどこかで誰かの笑顔を生み出しているだろう。私は、身近な出来事で、人権問題について、このように真剣に考えを深めたのは初めてだった。 
 今思うと、家族でなくても、過去にも身の回りで自分たちの「普通」以外を拒絶する「いじめ」のようなことが起こっていたのかもしれない。これまで「普通」という言葉を多く用いてきたが、社会全体に通用する「普通」はないと私は思う。私たちが思っている「普通」は、自分自身を「普通」であると肯定するためのものであって、それにとらわれず、周りの人の「普通」を理解する必要があると思う。 
 自分と異なるものを理解するのは難しく、怖いことかもしれない。しかし、知ろうとすることに意味がある。一人一人が意識しないと人権問題は解決しない。まずは自分から、そして周りへ、社会全体へ。互いに尊重し合い、理解しようとするコミュニケーションを取っていくことを、私も心がけていきたいと思う。

 人権とは、すべての人が生まれながらに持っている権利だ。ただ、人類の長い歴史で、この権利が世界共通で皆が持っていることとして明文化されたのは、世界人権宣言が1948年に国連で採択され、1966年に国連で国際人権規約が採択された。いまや「人権」や「人間の尊厳」とは発明のひとつだと言われている。

私の記事を読んでくださり、心から感謝申し上げます。とても励みになります。いただいたサポートは私の創作活動の一助として大切に使わせていただくつもりです。 これからも応援よろしくお願いいたします。