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零か百か?

零か百か?

              神宮 みかん

黄色いベンチにこうして座るのは初めてのような気がした。まして、休むのではなく幸福を願うのは初めてだった。

私は人生において懸命に努力を重ねていればまるで高倉健主演映画『幸福の黄色いハンカチ』のような黄色いハンカチが大空に舞うラストシーンがきっと自分の人生にも訪れると信じ続けてやってきた。

どこでも言えることだが、この付近も八百屋、魚屋がなくなりスーパーになり、個性的な個人店がなくなりチェーン店に変貌した。チェーン店に対して時代の流れだな、と思うが時代って何なのだろう、と考え、時代に抗いながら町中華の大衆食堂として夫婦二人三脚で良好な経営状態を保ってきた。

このおかげで息子三人を都内の大学に出すことができた。

だが、コロナによって無借金だった経営状態は一変し、お店は『幸福の黄色いハンカチ』のロケ地である夕張市のように財政難に陥ってしまった。

残念なことに今回銀行より経営改善が順調に進んでいると判断されなければ経営が立ちいかなくなってしまう状態になってしまった。

 私たちももう六十歳になろうとしている。潮時と言ったら、潮時と言えるのかもしれない。子どもも都内で会社員をしている。一国一城の主として苦しい思いをして継ぐ必要はないだろう。ただ、夫と二人どんな困難も乗り越えやってきた。だから、コロナという病によって店を終わりにしたくなかった。

 

 黄色いベンチに座った私の前をまた赤信号で停まった車が動き出し、また停まる。運転手たちは私をどう思っているのだろう。疲れた女性と思っているのだろうか。では、逆に私は運転手をどう見ればいいのだろう。立場が変わると大きく変わるものだと思う。

人生は苦楽を繰り返しその苦楽に相対する方法によって変わる。要は自己満足だ。今の状況であればどんな形であれ、苦に相対する方法だけ決めておけばいいのだ。でも、きっと夫は銀行から笑顔でなんとかなったと言って出てくるに違いない。今回も大丈夫に違いない。

 夫が笑顔で銀行から出てきて言った。

「ダメだったよ。もうじき店をたたもう」

 私はこれで時代に従うことができると思った。悔しいが救われた気がした。

 

 その日の夕方だった。初めて見る頭が禿げ上がった恰幅の良い男が店に入ってきた。

 男はメニューに目を落とし言った。

「チャーハンいただけますか?」

 お皿を綺麗に平らげて男は言った。

「美味しかったです。ぼちぼちいきましょう」

「貸してくれるのですか?」

「そこはこの場ではお答えしかねます。でも、方法は色々あります。一つの方向から物事を見るのはよくありません。お金を使えば誰だってできる。つまり、チェーン店と同じことは誰でもできます。でも、それって面白いですか? 私はこのお店の味が大好きです。私の知識と人脈を活かせると思います。楽しみにしていてください。また来ます」

 私が、夫に誰? あの人、知っているの? ちょっと怖いんだけど、と訊ねると夫は憤慨したように金貸しだ、気に食わないが支店長だと言った。夫は恨んでいるのだろうか。複雑な顔をしたが、美味しかったという言葉に対しては満足しているようだった。

 驚いたことに支店長は約束通り頻繁に食べにきた。歳若な女性と暖簾を潜ってきた時には、驚かされたが、会話の内容から多角的な視点を大事にしたいという強い決意を感じた。

 支店長に心を許すようになった夫が言った。

「あなたがお見えになるようになってからお客さんが急に増えました。あなたは福の神です。感謝しています」

「感謝? こちらこそ感謝しています」

首を傾げる私たちに支店長は言った。

「私には文芸、イラスト、動画等に取り組む仲間がいます。みんなそれぞれの視点で努力しています。でも、同じ視点で物事に取り組んだことはありませんでした。今回初めてこのお店を盛り立てる共通のチャレンジができました。資金は零。喜び百。実に楽しかった」

支店長は一息つき言った。

「お父さんの笑顔、戻りましたね。昔に戻りました。最高です」

「昔、来てくれていたんですね?」

「はい、留年をし、自宅に帰る前に寄りました。お父さんのいらっしゃいませの声にどれだけ勇気づけられたかわかりません。あの挨拶がなければ私はきっとこの挑戦を成功させられませんでした。ありがとうございました」

 私は支店長たちが私の店を主題にしてくださった作品群を見たいと強く思った。

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