神宮 みかん
徒然なるままに自治会の出来事を書いていきます
私が見た連続ドラマ、映画等の感想です
私が読了した本です。
テレビ東京のアド街天国、私が行ったお店で天国だなと思ったお店等の感想を書きます
私、神宮みかんの視点から日常を書いています。 読んでみて下さい。 尚、表紙のデザイン等は現在作成中です。
記事の定着 目的 工程を見せることによってより調味を抱かせる 受諾依頼か? 5/25(土) 夏祭り決起大会 → 把握? 参加者の把握 5/26(日)ソフトボール 点数、対戦チームを把握する → 確認中 5/31(金)新聞配布 → 終了 6/8盆踊り 夏祭り関連(6/8)やす →確認中 (ウ) やる予定のもの (エ) 寄付方法等 ↓確認済 粗大ゴミの回収 1. 本町福祉のまちづくり協議会総会 → 済 2. 各サロンの進捗状況 → 依頼済 3. ソフトボー
アンチヒーロー 第八話 神宮 みかん さすがTBSさん、素晴らしいと思う回だった。この回がないと視聴率はあがらない。「だって、あなたは人を殺しているのだから」。 脚本家が四人で書いているにも関わらず混じらいない薄墨ではなく明墨の方針、鳥肌が立つ。視聴率を意識した描きは尖っている。 私見:負けてから相手の弱みを学ぶ。 そうでしょ。明墨先生。相手である検事正も学んだのだから……。 掌で転がしているようで、実は転がされている。他人の不幸は密の味。もちろんそれは自分の
2024年6月1日のアド街は『赤坂溜池山王』だった。 凪良ゆう『星を編む』を思い出した。理由は『星を編む』は赤坂溜池山王で友人たちと語り合った時に勧められたからである。 今、読了し、『赤坂溜池山王』を思い出しながら『星を編む』の感想を書いている。本書で学べたことは登場人物の感情表現である。 「そんな連中と同じ土俵で勝負する理由はなにひとつない。」 「お金を無心してお礼を言われるとは思いませんでした。」 一読すればわかるが、この感情の吐露は章は異なるがキャラク
アンチヒーロー 第7話 神宮 みかん 裁判官のバッチである『八咫鏡』の意味を知りたくて三省堂国語辞典を開いた。 辞書における項目があるはずの1557頁には『八咫鏡』はなかった。 でも、偶然1556頁に図柄とともに『弥次郎兵衛』(半円の形に広がった両うでをつけた人形のおもちゃ。バランスがとれているのでたおれない)という項目を見つけた。 劇中「はて?」「ふざけないで!」というやり取りがあった。暗に法曹に携わる二人は朝ドラを見ていることを意味する。 人は
アンチヒーロー 20240519(日) 神宮みかん なんで? と思う。どうして? と思う。このドラマはミステリー小説のように第一話が始まる。その始まりに出合い私はこのドラマを今回から遅ればせながら見始めた。 思っていることがある。それはこのアンチヒーローというドラマはかつて放送されたヒーローの正反対を描きたいのかなということである。 さて、今回はある場所が印象に残った。それは銀座ルパンだ。 銀座ルパンで裁判官、弁護士が飲んでいる場面
小川洋子『海』を読んで 神宮 みかん 読書会の課題図書として小川洋子『海』を読んだ。 読んだのは2021年5月以来なので3年ぶり程度である。はっきり言って話の内容は全て忘れていた。 ネタバレに気を付けて感想を書きたい。 話の文字数は少なく、掌編小説の部類に入ると思う。文体はファンタジーのような詩的なものだった。現実から異世界へ引き込まれるような書き方をしていた。またその異世界が神秘的で魅了された。 文章において「オッポサム」とい
変わらないモノ 神宮 みかん よく言われることだが、時代が変わっても変わらないモノは衣食住だ、と。確かにこれは時代がどんなに変わろうとも人間が生きていく為には不可欠であり決して変化しない。だが、もう一つある気がする。 それは喜怒哀楽の表現方法である。 内容は割愛するが、大先輩が同窓誌に寄せたエッセイがその一例である。 格言めいた自慢話なら誰でも書ける。しかし、必ずしも他人を幸せにできる訳ではない。 でも、心に響く喜怒哀楽な話なら年齢が言っても、時代が
零か百か? 神宮 みかん 黄色いベンチにこうして座るのは初めてのような気がした。まして、休むのではなく幸福を願うのは初めてだった。 私は人生において懸命に努力を重ねていればまるで高倉健主演映画『幸福の黄色いハンカチ』のような黄色いハンカチが大空に舞うラストシーンがきっと自分の人生にも訪れると信じ続けてやってきた。 どこでも言えることだが、この付近も八百屋、魚屋がなくなりスーパーになり、個性的な個人店がなくなりチェーン店に変貌した。チェーン店
青柳蒼人『浜村渚の計算ノート 10さつめ』を読んで 神宮 みかん 数学。解は一つ。それを解き明かす数式は何よりも美しい。 だが、この学問を日常において使う機会は皆無に等しい。実際、現在仕事で数学を使うことがない。 さて、本書に出合った時、表紙から子ども染みた本と思い、読む意義を見出だせなかったが、大事な人に勧められた本と読み始めた。 読み進めると表紙が示すような単純な数式で
私はまだ話したことのないあなたのご主人を知りたいと思い本書を読んだ。 桜が散る背景の中で読書をする男の子、川を見つめる女の子が描かれる単行本のカバー。私はお二人の青春の思い出なのかなと思いページを開いた。 まず、『君の膵臓をたべたい』という題名を見た時どうして『たべたい』が『食べたい』と書かれていないのだろうと首を傾げた。 読後、その理由がわかった。そう。食べたいという「食」という漢字がこの話が描こうとしている青春に相応しくないからである。言い換えれば、そのたべたい
君が読むメール 僕が読むメール 手紙とは異なるその差 文字にすると重い 言葉にすると軽い 何を持って伝わる 滲み出る字よ 芽を見たい そこに萌芽する芽を ビールの味 不可解な味 喉を潤す 残雪の山 この小さな宿であなたは何を見たのだろうか 君は何を見たのだろうか 同じメールを読んだのだろうか 同じ手紙を読んだのだろうか さあ、迎えよう この不可解な朝を 不可解な唄とともに 永遠に解読できない手紙を手に携えて
冷涼をもたらす風鈴の音色。電力不足の中で少しでも栄養と快適さを求める人々。暑い夏がやってきた。 夏は塩分が不足する。だからであろう。行き交う人々は陳列棚に並ぶ私を求め、頻繁に手に取り吟味する。だが、幾度も品定めされるのにも関わらず取り残される仲間もいる。私も取り残されたそんな一人である。 仕事帰りであろうか。清潔感がある制服を着た男性が私を触り、じっくりと見定めを始めた。今度こそ私はその人の手に渡るのかなと期待した。何度も、何度も私を見つめ触りラベルを見返す男性。でも、最
神宮 みかん ソメイヨシノが花をつけた。一週間前にホームセンターで買ったソメイヨシノ。白い小さな花をつけ春の訪れを告げている。 僕はソメイヨシノを植えることに対して娘の成長を願うという観点から迷いはなかった。 でも、帰宅し、この小さな庭では大きくなりすぎて場所に困りいつか処分をする、と冷静になった。それでも、この苗木のソメイヨシノより背丈が低い娘が卒業時にはどれくらい大きくなっているのかを期待すると植えたい気持ちは消えなかった。 ソメイヨシ
MBA(経営の資格の一種)の立場から具体例(低学年向け)物語を例に多角的な視点から物事を身につける為の本の推敲中の文章を読了した。 ネタバレをするので内容には特に触れないが、この本において私が最も重要と考えたのは『主語』を誰に置くかにおいて全て変わってしまうということだ。 過去は、現在は、未来は、等の時を主語とした場合(無有体物)。 私は、あなたは、彼は、彼女は、これは、それは、等を主語とした場合(有体物)。 物事の見方、捉え方が全て変わってくるということである。こ
「応援している」というあなたの激励の言葉 二人囲む爆ぜるもんじゃ焼きは言う 嘘 嬉しいけど辛い、と 応援されればされるほど辛い、と 私は思いを決して口にしてはいけない、と あなたの「応援している」という言葉 私が欲しい「お疲れ様」という癒しの言葉 私はあなたにその言葉とともに黙って抱きしめて欲しい 口にできない してはいけない言葉 私は信じる その空間の雰囲気、色、形、その全てが私を昇華し、新しい感性を築き上げる、と 感性が既成概念によって塞がれた道を
年齢を重ねるにつれて友人の名前を新聞に見つける機会が増えた。 日本経済新聞『私の履歴書』という経済人の自伝が本人によって寄稿される欄がある。そこに書かれた元日本商工会議所の三村昭夫さんの寄稿はその一つの事例である。 私は三村さんに一度お会いしたことがある。三村さんが寄稿した文章の中に私を三村さんに紹介して下さった方の名が高校時代の友人と記されていたことに対して非常に感じ入るものがあった。 その方を見ていると思うことがある。人はその人も含め人なのだと。またその人が